全統などの模試の英語を見ていると生徒間の点差は非常だ。
レインボーでトップクラスになると180点を超えそれでも全く確信を持てず1点でも多く取りにかかっている。彼らは国立がA判定だ。長高に多い。
一方一生懸命やってき ていてもなかなか100点さえ届かないものもいる。1人や2人ではない。六高に多い。
高校間の格差は大きく個人の学習能力の差はいつも非常だ。


レインボーに来る限りどこの高校でも改善させる。しかし同じことをしてもその進捗や精度は全然違う。その結果が模試に出る。非常なくらいはっきりでる。
こっちが悔しくなるくらいその差は大きい。

さらにこの差は追い込みに入るセンターまでの3か月で一層広がる。

 

理由はなんだろうか。

高校が決まった時点で基礎学力が全然違うということにつきる。なんか寂しいけれど・・・

基礎力がセンター試験にはもろに反映されてしまう。

通っている高校の生徒間のばらつきの大きさ(KJと六高はひどい)や、授業の組みたて、使っている教科書も生徒の学力に大きな影響をあたえる。この辺の6つの高校生がレインボーにいるが見ているとすべての高校で英語の教科書が違う。英語の教科書が学年ごとに違うところもここ南魚沼にはある。どうやってつみあげてきているシラバスの軸を劇的に変え得るのだろうか?

よほど凄い指導力かその逆かどちらかだろう。模試の成績全国平均以下がそのいい加減さを証明している。


ただ学力はそういう環境や基礎学力だけではない面も良く目にする。

「これじゃ勝てないなあ・・・」といつも思うことがある。

指導をしていて毎年1番できる子どもが1番ノートをつける。1度も「書け」と言ったことが無い。「いいなあ」と思える生徒でも六高程度になると書き込みにバラツキが見える。

結局甘いのだ。大切な宝物を拾えないその愚かさに失望を覚える事も多い。

 

「書け」と言って書くのでなく書かないと自分の努力とチャンスが無駄になるから書き込むという単純作業ができない。勉強の仕方を知らない。昨日KJ生たちに「大学受験に関して模試で成績を上げる二つのポイント」を話しておいた。どこまでしみ込んだかわからないが仮に「そうか…」と理解できたならとても単純なことだからお勉強ギアが昨日の晩から変わっていると思う。こういう話を彼らにいって聞かせたのは、はっきり言ってこのままではだめだということに他ならない。そこを感じ入ったかどうか。話している途中、一人だけノートに書いていたなあ。その子が1番出来ない。ただ思わず書き留めたのならあの子は変わると思う。


そもそも高校生は「お勉強は予習、受験は復習」だということがわかっているかなあ?

この辺も中学基礎がないレベルの高校生だと学習習慣ができてないからぴんとこないだろうか。学習習慣といえば辞書との触れ合いも見ていておもしろい。はっきり生徒の先を予想できる。監督の英語は辞書が必修だ。どうしても忘れるものがいるから教室に何冊も辞書を置いている。レベルの低いものはいつの間にかそれを当てにして自分の辞書を持って来ない。何という情けない勘違いか。 論外だ!
気づいていないその[愚かさ]はかわいそう。

忘れると困るので自分の辞書をレインボーに常時おいている高校生が2名いる。

彼らは「愚かの最上級」だといっておこう。あほらしくていう気にならずそのきれいな辞書を毎日眺めている。

辞書が傍らにないと不安でしょうがない位でないと力はつかない。

どうせ電子辞書があるとかなんとかさらに愚かなことをいうかもしれない。

「愚かの最上級」の行く末を案じていま―す♪♪♪

監督