ハレの高校1年生になってから早いもので3か月が過ぎた。
お勉強と言う観点で見るともうこの3か月でそれぞれの学びの雰囲気は決定的にちがう。そしてこのまま2年6か月がすぎていき当然のごとく大学進学が決する。KJは小テストまみれで生徒たちはくたくた。それでも夢の国立大学を目指して一方的な学校の指導に食らいつこうとしている。今の時点で「もう一回KJを受けるか」と問われると「?」だろう。長高は小テストの大変さよりも授業の進度がはやいため各自の判断で予習を大切にしないと授業についていけない。だからまともな奴は毎日勉強をする。六高は違う。日々どんどん全国平均以下の学力の旅路を進む。想像するに長岡の数十名、KJの20名、六高の数名程度が中学3年時に確認試験、450点越でかれらこそが2年半先に国立の難関または上位校(六高は地方国立)に進むわけだがその過程は3校3様に極めて異なって経時変化をしていく。そして同日に同様のセンター試験にのぞむ。

受験が全てではない。しかしこの3つの高校が進学校と名乗るのであれば受験は最大の目標だ。
目標がはっきりしていてチャンスが平等にあたえられ学費が同じで公立でここまでやり方がちがうとはみていて滑稽だ。もちろん高校入学時点での学校全体の基礎学力が全然違うことが1番大きい。

お勉強と言う観点で「いい高校」と言うのは基礎学力の揃った生徒が一堂に会する高校ということで生徒間のばらつきの少ないことだ。それは高校入試の時点での競争率の高さで維持される。この3校もその競争率を見ればその質は「言わずもがな」である。

                                    監督