昨日、私が19歳の時に作った詩を贈った。
35年以上も前に書いた詩をその年令になった息子に贈るとは夢にも思わなかった。
当時19歳になって大学の寮に入った私は、みなぎるエネルギーと突然のように手にした自由、反面みずからの非力を知った。悶々とした思いが混在し、焦りにも似た心の葛藤を数行の短い詩に込めた。
詩を読んだ息子の返信には「19歳のパパの希望と思いがよく表れているね。詩を贈ってくれてありがとう。」と書いてあった。
息子が浦佐の水や空気、そして日本語と日本を離れてもう7年目にはいる。どんどん遠くにいってしまうようだ。
今の時代だから即時に声も聞くことができるし顔も見られる。しかし海の向こうは遠い。
その昔、野口英世の母はどのような思いで平仮名だけの手紙を遥か彼方の異国にすむ息子におくったのであろうか。そして野口博士は母の手紙を手にして涙で読み進められなかったのではないだろうか。
私の詩を息子が心に中で読み返すとき、そばにいれば口うるさく時として厳しい父親を思い出すかもしれない。いやそれより19歳の同じ年として、共有する何かを私に感じてくれるだろう。きっと。
この先息子がどこで生きていくのか予想もつかない。
ひたすら息子の明日を応援するだけだ。父として。
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35年以上も前に書いた詩をその年令になった息子に贈るとは夢にも思わなかった。
当時19歳になって大学の寮に入った私は、みなぎるエネルギーと突然のように手にした自由、反面みずからの非力を知った。悶々とした思いが混在し、焦りにも似た心の葛藤を数行の短い詩に込めた。
詩を読んだ息子の返信には「19歳のパパの希望と思いがよく表れているね。詩を贈ってくれてありがとう。」と書いてあった。
息子が浦佐の水や空気、そして日本語と日本を離れてもう7年目にはいる。どんどん遠くにいってしまうようだ。
今の時代だから即時に声も聞くことができるし顔も見られる。しかし海の向こうは遠い。
その昔、野口英世の母はどのような思いで平仮名だけの手紙を遥か彼方の異国にすむ息子におくったのであろうか。そして野口博士は母の手紙を手にして涙で読み進められなかったのではないだろうか。
私の詩を息子が心に中で読み返すとき、そばにいれば口うるさく時として厳しい父親を思い出すかもしれない。いやそれより19歳の同じ年として、共有する何かを私に感じてくれるだろう。きっと。
この先息子がどこで生きていくのか予想もつかない。
ひたすら息子の明日を応援するだけだ。父として。
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