レインボーの数学の講師は専門家で当代では一流。彼女は六ちゃん出身。だから後輩をよく把握している。彼女と監督はね、毎晩君たちの成績のことを話しているが、六ちゃん達に対する印象はことごとく一致する。偏差値の予想や到達レンジまでドンピシャ一致する。いや彼女のほうが良く当たる。
先日、ある生徒のことが心配で「模試の成績が思わしくない。数学は全国平均に届くだろうか。」と聞くと「うまくいって全国平均にとどくかどうか」という。「その程度では」と話をやめようとしたら「1問解けたらもうフ~となってしまう。六高はあの感じが多い。あと2か月ですから今ガンガンやらないといけないのに、あれは何なのでしょうか。やればもっと伸びる子だ・・・」と残念そう。
監督はブログに書いているけれど六ちゃんは概して「馬力」がない。なぜ六高生は馬力がないか。はっきり理由がある。実は勉強をやらされるという環境の厳しさが希薄。高1から3年間鍛えられていない。大学受験勉強に慣らされていない。決定的な例をあげようか。2年後半に受ける模試の成績がボロボロでも六ちゃんたちは平気。KJ生にはそんな認識の生徒はいない。多くの六高生は3年間のうち2年半は受験勉強という環境下に身を置かない。だから「勉強馬力」はつかない。トレーニングを積んでいないから筋肉がついていない運動選手とおなじ。当然問題を解かされ、その1問が重たいわけよ。筋肉が弱いから。 KJ生は筋肉隆々で六ちゃんはがりがりというわけ。KJの筋肉が上質かどうかはわからない。無駄な筋肉が多すぎで早く走れないようなのもいっぱいいると思う。それでもがりがりの六ちゃんよりはずっとまし。
KJも六ちゃんも頭は変わらないよ。要するに「勉強馬力」があるかどうか。そこなのだ。1年から毎日トレーニングを積んできた体とそうでない体。素人だって一瞬でその差がわかる。「勉強馬力」は見えないから、模試を受けるまで実感できないよ。こう考えると学校間格差は非常だなあ。六高はとてもとても進学校とは呼べないね。
詰まるところそれぞれの高校が持っている「学びの雰囲気」(10月17日付けブログ)がすべてを決するのだよ。だから六ちゃんの中でいいところに進学する奴はえらいよ。自立しているわけだから。尊敬に値するよ。大学に入っても伸びるよ、こういう子供はね、きっと。
監督
先日、ある生徒のことが心配で「模試の成績が思わしくない。数学は全国平均に届くだろうか。」と聞くと「うまくいって全国平均にとどくかどうか」という。「その程度では」と話をやめようとしたら「1問解けたらもうフ~となってしまう。六高はあの感じが多い。あと2か月ですから今ガンガンやらないといけないのに、あれは何なのでしょうか。やればもっと伸びる子だ・・・」と残念そう。
監督はブログに書いているけれど六ちゃんは概して「馬力」がない。なぜ六高生は馬力がないか。はっきり理由がある。実は勉強をやらされるという環境の厳しさが希薄。高1から3年間鍛えられていない。大学受験勉強に慣らされていない。決定的な例をあげようか。2年後半に受ける模試の成績がボロボロでも六ちゃんたちは平気。KJ生にはそんな認識の生徒はいない。多くの六高生は3年間のうち2年半は受験勉強という環境下に身を置かない。だから「勉強馬力」はつかない。トレーニングを積んでいないから筋肉がついていない運動選手とおなじ。当然問題を解かされ、その1問が重たいわけよ。筋肉が弱いから。 KJ生は筋肉隆々で六ちゃんはがりがりというわけ。KJの筋肉が上質かどうかはわからない。無駄な筋肉が多すぎで早く走れないようなのもいっぱいいると思う。それでもがりがりの六ちゃんよりはずっとまし。
KJも六ちゃんも頭は変わらないよ。要するに「勉強馬力」があるかどうか。そこなのだ。1年から毎日トレーニングを積んできた体とそうでない体。素人だって一瞬でその差がわかる。「勉強馬力」は見えないから、模試を受けるまで実感できないよ。こう考えると学校間格差は非常だなあ。六高はとてもとても進学校とは呼べないね。
詰まるところそれぞれの高校が持っている「学びの雰囲気」(10月17日付けブログ)がすべてを決するのだよ。だから六ちゃんの中でいいところに進学する奴はえらいよ。自立しているわけだから。尊敬に値するよ。大学に入っても伸びるよ、こういう子供はね、きっと。
監督
