私は断酒会に所属していますが、何年、何十年と断酒会に繋がっていても再飲酒してしまったという話を良く聞きます。
長く断酒している人でも再飲酒してしまいます。
酒を断ち、それを継続するには、お酒を飲んでいた時の生活習慣やモノの考え方を変えて新しい人生を創っていかなければなりません。
単にお酒を止めているだけでは、周囲の状況が改善されることはなく飲酒時代と変わらない、生きづらい毎日が続きます。
生きづらさの「ときはなち」が出来なければ何年、何十年と断酒していても「ガマンの断酒」になってしまい再飲酒してしまう可能性は高いと思います。
すぐに再飲酒してしまう人に共通するのは「わかちあい」が出来てない人が多いと思います。
断酒継続には共感し合える仲間をみつけることが重要だと思っています。
自助グループ(断酒会・AA)には共感し合える仲間が居る場所です。
今はネットでも共感できる記事が沢山あり、気付きを得ています。
そのためにも私は断酒ブログを書いてますし、読ませて頂いています。
セルフヘルプ・グループ(SHG)の概念と援助効果に関する文献検討-看護職は SHG とどう関わるか- 谷本 千恵
SHGの機能(働きの基本要素)は「わかちあい」「ひとりだち」「ときはなち」であると定義した
「わかちあい」とは複数の人が情報や感情や考えなどを同等の関係の中で,自発的にしかも情緒的に抑圧されていない形で交換すること.
「ひとりだち」とは,わかちあいを通じて,自分自身の状況を自分自身で管理し,問題解決の方向を自己決定し,社会参加していくこと.
「ときはなち」とは,自分自身の意識のレベルに内在化されてしまっている自己抑圧構造を取り除き,自尊の感情を取り戻すこと
「ときはなち」をするには第二の否認を認める必要があると思います。
アルコール依存症は否認の病で否認は2段階あります。
※全日本断酒連盟HPひとくち講座より
第一の否認は、「自分がアルコール依存症であることを認めない」という否認
第二の否認は、「自分は酒さえ飲まなければ、何の問題もない」という、自分の責任を酒に押し付けてしまう否認です。
自分の問題は酒だけではなく、「その根は別の所にある、その根を断たなければいけない」と気づき、この二つ目の否認を解くことで新しい道が開けます。
では、この二つの否認は具体的に、どう違うのでしょうか。
【第一の否認】
「私はアルコール依存症ではない!」
なぜ、否認するのですか?
人は自分に不都合なことは認めたくないからです。
不都合とは、「アル中」とレッテルを貼られる嫌悪感、 世間から疎外される孤立感、酒を飲めなくなるという恐怖感などです。
酒を奪われれば心の安定が保てなくなるという脅えが根底にあります。
「否認」は自分を脅かすものから身を守ろうとする心の構え。
認めないのではなく認めたくないのです。
否認すると、どうなりますか?
飲み続けるしかありません。
「アルコール依存症ではない」のですから酒の飲み方には何の問題もないことになり、断酒をしなければならない理由がありません。
問題がさらに深刻化し、やがて底を打ち、アルコール依存症と認めざるを得ない日まで飲み続けることになります。
「認める」とは、どのようなことですか?
「酒をコントロールできない」と認めることです。酒に対して無条件降伏することです。
「やめなければ解雇(離婚)といった他からの説得や強要ではなく、自分で納得して認めることが大切です。
医師の告知、依存症と認めている人との共通体験、招いた結果の重大さなどが認める契機となります。
認めると、どうなりますか?
「断酒」へ踏み出します。酒浸りの生活を改め、酒の支配から脱しようとします。
節酒や一時の禁酒でなく「断酒」を決意し、自分一人では不可能と認め他に援助を求めます。
家族、医療、自助グループなどの支援を受けながら、 徐々に断酒生活を実現していきます。
「新生」への第一歩です。
【第二の否認】
「私は酒さえ飲まなければ、何の問題もない」
なぜ、否認するのですか?
すべてを酒のせいにしたいからです。
すべては酒から始まった。諸悪の根元は酒である。
その酒を断ったので一件落着…そう思いたいのです。
飲酒に駆り立てた原因を見つめることは、飲んで犯した 不始末を認めることより辛いのかもしれません。
「第一の否認」同様、認めないのではなく、認めたくないのです。
否認すると、どうなりますか?
何も変わりません。
酒を飲んでいないだけで考え方や行動は変わりません。
「飲まなければ問題はない」のですから変える理由がありません。
当然ながら「飲酒」時代と変わらない思考や行動パターンを繰り返します。
心は不安定なのに酒は飲めず、「ガマンの断酒」を強いられます。
苦しく、また危うい状態です。
「認める」とは、どのようなことですか?
「酒」ではなく、自分の問題として認めることです。
私たちはあまりにも多くのものを失ってきました。
「酒が好き」だけでは説明できません。
私たちには飲む理由がありました。
酒の力を借りなければ心の安定が保てなかったからです。
飲み過ぎてアルコール依存症になったのではなく、依存症になるまで飲まなければ生きて来られなかった…この事実を認めることです。
認めると、どうなりますか?
自分に真摯に向き合うようになります。
なぜ酒なしでは生きられなかったか。
自分を酒に駆り立てたものは何か。
酒と引き替えに何を得たかったのか…。
自分と正面から向き合います。
自分を白紙に戻す謙虚さ、自分の弱さを直視する勇気、 自分を見通す知力が求められます。
自らの「問題」を受け入れたとき、酒を必要としない生き方、「断酒新生」が始まります。
アルコール依存症は「対人関係の病」とも言われ、お酒を飲んでいないときでも生きづらさを感じながら生活している人が多くいます。
そのような状況で、一人で断酒を続けていくことは簡単ではありません。
断酒の継続には、同じ苦しみを抱えている人との出会いと支え合いが必要です。
私がアルコール依存症になった原因は生きづらさを抱えていたからです。
人とうまく話を出来ない、自分をうまく表現出来ない、酒の力を借りなければ何も出来ない。
やっと昨年断酒会に巡り合えて酒を飲まなくてもいい生活を送らさせて頂いています。
アルコール依存症の回復には「わかちあい」「ひとりだち」「ときはなち」この3つが必要だと思ってます。
断酒例会で体験談を聞いたり、語ったりして共感し合い、「わかちあい」は今までやってきました。そしてこれからもやっていきます。
来月には就職活動、再来月には就職予定なので社会復帰の壁は高いですが「ひとりだち」も目の前に来てます。
そして、「ときはなち」とは生きづらさを手放すことだと思ってます。
アルコール依存症の回復とは人それぞれ違うと思いますが、私のアルコール依存症の回復とは幼少期からの生きづらさの克服「ときはなち」です。
「わかちあい」「ひとりだち」「ときはなち」が出来れば酒がなくてもいい生活を送ることが出来、自分らしさを出せると思います。
断酒会に繋がって約1年、再来月には一年表彰、やっとアルコール依存症回復への道の地図が手に入りました。
回復へのゴールは見えましたが道は長くて険しいです。
これからも焦らずゆっくりとアルコール依存症の回復への道を歩んでいきます。