アジムステップの朝は広い。

どこまでも続く草原を風が走り、遠くの山々には薄い雲がかかっている。高台のドーロ・イローでは、祭りの名残を思わせる飾りが風に揺れ、まだ眠そうなナマズオたちがぽつぽつと起き出していた。

その穏やかな朝。

「チンズオちゃん」

「なんぺ?」

小さなチンズオちゃんが振り返る。

ギョチンちゃんは、朝日に照らされながら厳かな顔をしていた。

「吸わせてほしいっぺ」

「普通に吸うならいいっぺ」

「…………」

「その沈黙は何ぺ」

ギョチンちゃんの瞳が細くなる。

普通に抱き上げる。

普通に頬を寄せる。

普通にすーっと吸う。

そんな生ぬるいナマズオ吸いは、彼女にとってとうの昔に卒業した領域だった。

ギョチンちゃんは一歩下がった。

二歩下がった。

そして突然、草原を全力疾走した。

「待つっぺ。その助走なんぺ!?」

「飛天・落下式ナマズオ吸いぺぇぇぇぇ!!」



跳んだ。

大地を蹴り、身体をひねり、空中で上下が完全に逆転する。

頭は下。

尻は天。

足は彼方。

通りすがりのナマズオ三匹が一斉に空を見上げた。

「飛んでるっぺ」

「飛んでるっぺな」

「落ちてくるっぺ」

その中心で、チンズオちゃんだけが絶叫していた。

「それ吸う姿勢じゃないっぺぇぇぇぇ!!」

ギョチンちゃんは天地逆転したままチンズオちゃんへ迫り、

すぅぅぅぅぅぅぅぅっ。

「極上ぺ……」

「空中で吸うなっぺ!!」

そのまま地面へ転がった。

ごろん。

ごろろん。

ごろろろろん。

草原を三回転したギョチンちゃんは、何事もなかったかのように起き上がった。

そして。

「…………うぺ」



腰を押さえた。

チンズオちゃんの目が細くなった。

「痛めたっぺな」

「違うっぺ」

「腰押さえてるっぺ」

「これは喜びの腰ぺ」

「そんな腰ないっぺ」

🐟🐟🐟🐟🐟

数日後。

二人はヤンサへ下り、無二江の流れを眺めながら旅を続けていた。ナマイ村や無二江を含むヤンサには、ナマズオたちとも縁深い土地が点在している。

しかし景色を楽しむ余裕がチンズオちゃんにはなかった。

なぜなら。

「チンズオちゃん。止まるっぺ」

「嫌な予感しかしないっぺ」

ギョチンちゃんが片脚を上げた。

「何してるっぺ?」

「新技ぺ」

「戻すっぺ、その脚」

さらに両腕を上げた。

身体を反らした。

片脚のまま、じわじわとチンズオちゃんへ近づく。

「名付けて、片脚鶴舞式・上空吸引ぺ」



「そんな鳥いないっぺ!!」

チンズオちゃんの頭上から、ギョチンちゃんの顔が降ってくる。

ぐぐぐぐぐ。

腰は反り。

膝は震え。

腹筋は悲鳴を上げていた。

それでもギョチンちゃんは鼻先をチンズオちゃんへ近づけ、

「すぅぅぅぅ……」

「普通にしゃがめっぺ!」

「んふぅ……今日もいいナマズオぺ……」

ピキ。

二人とも止まった。

無二江の水だけが、さらさらと流れていった。

「今なんか鳴ったっぺ」

「鳥ぺ」

「腰ぺ」

「鳥ぺ」

「腰から聞こえたっぺ」

ギョチンちゃんは無言で歩き出した。

ただし、さっきより少し中腰だった。

🐟🐟🐟🐟🐟

旅は紅玉海を越え、クガネへ。

異国情緒あふれる街並みを抜けた先には、湯処として知られる望海泉がある。さらにシロガネには、高台の白雲之湯、そして隠れ浜の洞窟を抜けた奥にも温泉がある。

「これぺ」

湯気の向こうで、ギョチンちゃんの瞳が輝いた。

「温泉ぺ……!」

「腰に良さそうぺな」

チンズオちゃんも嬉しくなった。

ついに。

ついに相棒が治療という概念を理解したのだ。

身体を温める。

ゆっくり休む。

無茶な姿勢を取らない。

それだけでいい。

だがギョチンちゃんは湯船を見つめたまま呟いた。

「湯に入れば浮力が働くっぺ」

「…………」

「つまり腰への負担を減らしながら」

「ギョチンちゃん」

「より大胆なナマズオ吸いが可能ぺ」

「何のために来たっぺぇぇぇ!!」

温泉街にチンズオちゃんの声が響いた。

🐟🐟🐟🐟🐟

それでも白雲之湯では、しばらく平穏だった。

二人で湯に浸かる。

海を眺める。

風が湯気をさらっていく。

チンズオちゃんは久しぶりの静かな時間に目を細めた。

隣ではギョチンちゃんも肩まで浸かっている。

「気持ちいいっぺなぁ」

「最高ぺ」

「このまま休むっぺ」

「そうするっぺ」

五分後。

チンズオちゃんは湯から上がり、岩場に仰向けになって昼寝を始めた。

その姿を。

ギョチンちゃんが見た。

小さな腹。

丸い頬。

ぴんと伸びたヒゲ。

無防備なナマズオ。

ギョチンちゃんの呼吸が止まった。

「…………吸える」

チンズオちゃんが目を開いた。

「今なんて言ったっぺ?」

ギョチンちゃんは四つん這いになっていた。

「待てっぺ」

ずり。

「近づくなっぺ」

ずりずり。

「その顔、知ってるっぺ!!」

チンズオちゃんの鼻先まで迫る。

四本の手足で身体を支え、腰を低く落としたその姿。

伏臥接近式・じわじわナマズオ吸い。



「すぅぅぅぅぅぅ……」

「怖いっぺぇぇぇぇ!!」

チンズオちゃんのヒゲとギョチンちゃんのヒゲが触れ合った。

「んふっ……♡」

「せめて横に寝ろっぺ!!」

だがこれはまだ穏健な部類だった。

問題は翌日。

シロガネ・隠れ浜の洞窟の奥。

静かな秘湯。

人影もない。

洞窟の向こうには海が見える。

ギョチンちゃんは思った。

ここなら。

誰にも邪魔されない。

己のすべてをナマズオ吸いへ捧げられる。

チンズオちゃんが岩の上で横になった瞬間。

ギョチンちゃんは両手を地面についた。

「…………ギョチンちゃん?」

片脚が上がった。

「やめるっぺ」

もう片方も上がった。

「やめろっぺ」

腰が垂直になった。

「やめろって言ってるっぺ!!」

完全なる逆立ち。

そこから身体を折り曲げ、チンズオちゃんの頭へ顔面を近づけていく。

究極奥義。

天地逆転・逆立ち直吸い。



「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「長いっぺ!!」

「んふぅぅぅぅぅぅぅ……♡」

「頭に体重かかってるっぺぇぇぇ!!」

ギョチンちゃんは幸福だった。

チンズオちゃんは潰れかけていた。

そして。

ピキィッ。

洞窟に、嫌な音が響いた。

ギョチンちゃんの脚が止まった。

「…………」

「…………」

海がざざん、と鳴った。

「ギョチンちゃん?」

「降りられないっぺ」

「うぺ?」

「腰が固まったっぺ」

「だから言ったっぺぇぇぇぇ!!」

🐟🐟🐟🐟🐟

こうして二人の目的は変わった。

旅を楽しむ。

ではない。

腰を救う。

である。

だがギョチンちゃんは諦めなかった。

ひんがしの温泉でも治らないなら、もっと遠くへ行けばいい。

海を越え。

船を乗り継ぎ。

ついに二人はエオルゼアへ渡った。

目指したのは高地ラノシア。

キャンプ・ブロンズレイク。

第七霊災後、水位低下によって現れた温泉には療養に使われるほどの湯が湧き、負傷した者たちのための施設まで設けられている。

「ここなら治るっぺ!!」

チンズオちゃんは希望に満ちていた。

ギョチンちゃんは中腰だった。

「効く気がするっぺ」

「まず普通に歩けるようになるっぺ」

二人は湯に浸かった。

一日。

二日。

三日。

すると。

奇跡が起きた。

ギョチンちゃんが立った。

膝が伸びる。

腰が伸びる。

背筋が伸びる。

「立てたっぺ!!」

チンズオちゃんが飛び跳ねた。

「治ったっぺぇぇぇ!!」

「治ったっぺ!!」

二人は抱き合った。

長かった。

アジムステップからヤンサへ。

クガネを越え。

シロガネの秘湯を巡り。

海を越えてラノシアまで来た。

ついに。

ついにギョチンちゃんの腰は復活したのである。

夕焼けがブロンズレイクを赤く染める。

チンズオちゃんは感極まって涙を拭った。

「これでもう無茶しちゃ駄目ぺよ」

「分かったっぺ」

「普通に吸うっぺよ」

「分かったっぺ」

「約束ぺ」

「約束ぺ」

夕日を背に、二匹は固くヒレを重ねた。

美しい友情だった。

そしてその晩。

チンズオちゃんが目を覚ますと。

ギョチンちゃんが寝台の横で逆立ちしていた。

「…………」

「…………」

片脚を曲げていた。

腰をひねっていた。

さらに身体を横方向へ回転させようとしていた。

「ギョチンちゃん」

「起きてたっぺか」

「何してるっぺ」

「ブロンズレイクで腰が完全復活したことによって完成した新奥義ぺ」

「聞きたくないっぺ」

ギョチンちゃんは静かに息を吸った。

「超・天地螺旋回転式ナマズオ吸い」

「治った腰を一晩で壊すなっぺぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

翌朝。

キャンプ・ブロンズレイクから少し離れた場所を、二つの影が進んでいた。

ひとつは普通に歩く、小さなチンズオちゃん。

そしてもうひとつは。

膝を曲げ。

尻を落とし。

背中を微妙に固めたまま。

見事な中腰で歩くギョチンちゃん。

「…………戻ったっぺな」

「戻ったっぺ」

「何日も温泉巡ったっぺよ」

「いい旅だったっぺ」

「腰治す旅だったっぺ!!」

二人が次に向かったのは、外地ラノシアの隠者の庵。

切り立った場所にひっそり佇み、旅人たちが湯に浸かって疲れを癒す秘湯である。

杖代わりの枝をつき、中腰で山道を登りながら。

ギョチンちゃんは静かに言った。

「チンズオちゃん」

「なんぺ」

「隠者の庵には岩壁があるっぺな」

「あるっぺな」

「岩壁と温泉の浮力を組み合わせれば」

「…………」

「壁面反転・水中三段吸いが」

「もう腰痛と一生暮らせっぺぇぇぇぇぇぇ!!」

山々に絶叫がこだました。

鳥が飛び立った。

旅人が振り返った。

そしてギョチンちゃんは中腰のまま、満足そうに笑った。

世界は広い。

秘湯はまだある。

吸い方も、まだある。

そしてギョチンちゃんの腰には、

もう、あとがなかった。


🍠🌽🍠🌽🍠


元ネタになった神SS
ギョチンちゃん&チンズオちゃん

https://x.com/fragola_ff14/status/2104048580927562211?s=46&t=w05QNR_9DQsgEQbYeg2h3Q

https://x.com/fragola_ff14/status/2103676231904608538?s=46&t=w05QNR_9DQsgEQbYeg2h3Q

https://x.com/fragola_ff14/status/2103240954291573016?s=46&t=w05QNR_9DQsgEQbYeg2h3Q

https://x.com/fragola_ff14/status/2102882339001156006?s=46&t=w05QNR_9DQsgEQbYeg2h3Q

https://x.com/fragola_ff14/status/2102544843411165346?s=46&t=w05QNR_9DQsgEQbYeg2h3Q