春の陽気に包まれた薩摩の本丸。風は穏やかで、庭の桜は散ることなく、ただ静かに揺れていた。

 そんな穏やかな景色の一角に、不穏な物体が横たわっている。

 サメである。

 正確には、サメの形をした寝袋である。口を大きく開けたそのサメは、まるで獲物を呑み込んだかのようにぽっかりと膨らみ、その中からは微動だにしない何かが収まっているのだった。

 通りかかったのは、大倶利伽羅。

 彼はふと足を止め、その異様な光景をじっと見つめた。

 (……何をやっているんだ、あいつは)

 誰とは言わないが、心当たりしかない。

 だが、興味はない。いつものことだ。余計なことに首を突っ込むつもりもない。

 大倶利伽羅は、視線を逸らしてそのまま通り過ぎようとした。

 ——が。

 ガシッ。

 突然、脚に強い力がかかった。

 「……?」

 見ると、サメの口の中から小さな手が伸び、大倶利伽羅の足をしっかりと掴んでいた。

 「無視するなぺ」

 サメの口の中からくぐもった声が聞こえる。

 ……やはり、ギョリイだった。

 「離せ」

 「断るぺ」

 ぐいっと引き離そうとするが、サメは動かない。いや、正確には、サメの中にいるナマズオマスクの審神者が必死に踏ん張っているのだ。

 「何をしてるんだ」

 「サメだぺ」

 「……知ってる」

 「なら、サメの気持ちを考えるぺ」

 「考えない」

 即答した。

 すると、サメ(というかギョリイ)は寂しそうに肩を落とし、脚を掴んだまま呟いた。

 「……サメは寂しいぺ……」

 「俺に言うな」

 「サメは、通りかかった伽羅ちゃんに構ってほしいぺ……」

 「俺は馴れ合うつもりはない」

 「サメの気持ちも知らずに……」

 「サメじゃないだろ」

 「サメぺ」

 「……」

 沈黙が落ちた。

 そのまましばらく、大倶利伽羅は審神者に脚を掴まれたまま動かずにいた。

 もしかすると、そのまま放置しておけば、そのうち満足して離れるかもしれない。そう思っていた。

 が——。

 「うぅ……寒いぺ……」

 サメが震え始めた。

 (……馬鹿か)

 このまま放っておいたら、あとで誰かに泣きつくかもしれない。そうなると面倒なのはこっちだ。

 大倶利伽羅は諦めたように溜め息をつき、言った。

 「……仕方ない、少しだけなら構ってやる」

 「本当ぺ!?」

 突然、サメが跳ねた。

 「おい、動くな」

 「何してくれるぺ?」

 「何もしない」

 「じゃあ、サメごっこするぺ」

 「……は?」

 気づけば、大倶利伽羅は庭の隅でサメ型寝袋を着たナマズオマスクの審神者と一緒に過ごす羽目になっていた。

 ギョリイは寝袋の口をぱくぱくと開け閉めしながら、「サメはお腹がすいたぺ」とか「サメは仲間が欲しいぺ」とか言いながら、大倶利伽羅の腕に噛みつく真似をしてくる。

 (……これは、一体なんの時間なんだ)

 冷静に考えたら、これはひどく無駄な時間ではないか。だが、こうしていると、ギョリイは実に楽しそうだった。

 「サメは今日も幸せぺ!」

 「……そうか」

 結局、大倶利伽羅はその日、馴れ合ってしまったのである。