思い出はたくさん、色々ある。
現在進行形のものも、今月、来月予定のものも。
やがて、良い思い出になる。

ふと断片的にワンシーンを思い出すことがある微針凹凸洞
脳裏に浮かぶのに至った経緯があるが、説明は割愛。


ダイニングの扉付き棚に置いている文庫本。
今、また次の本を読んでいる。
2007年初版の「フランス残酷物語」。
18〜19世紀頃を主に、フランス歴史に残る、お姫様などの裏の顔を抉(えぐ)り出す、えげつない血生臭いお話。
年代や名前がどんどん出てくるので、年代や年齢、名前や血縁関係がゴチャゴチャになり、ページを前後してめくっては、わたしの理解の悪さが露呈され、ヘキヘキする。
なので、少し読んでは休憩、また少し読んでは休憩。
休憩のコーヒー飲みたさに読んでいるかの如く皮秒去斑

まだダイニングの棚には、本が詰まっている。
中には、作家さんに、目の前で直接サインしていただきながら、1ページも読んでいないハードカバーの重い本もある。
けしからん、わたし。
作家さんは、学生時代の元同級生Kちゃん。
当時は、新聞や他のメディアで活躍されていた。
最近はメディアでは名前を見たことがないが、おそらく地元でコツコツ頑張っておられることだろう。
その本も、今後楽しみにしている一冊である。
(ごめん、Kちゃん)

このKちゃんは、わたしの親友Yが進んだ学部にいた生徒さん。
(わたしは親友Yと同じ学校に進んでいるが、別学部)
Yと同じ学部のクラスメイトとして、Kちゃんをたまたますれ違った庭園で軽く紹介された。
軽く会釈したぐらいで、話したことはないはず。

ではあるものの、Kちゃんは後に作家としての道を歩み出した。
多分、教職の道にも進めたと思うが、結婚後、婚家の地で暮らした。
わたしの想像では、子育てをしながら、エネルギーを溜めたと思う。
都会ではない地での風習や因習に悩まされたのではないかと想像する。(わたしがそうであったように)

そのエネルギーの発露が小説であり、文化活動であったのではないだろうか。
かつて、仕事でわたしが受け持っていた、専門的刊行物があった。
Kちゃんは、とある県の行政機関が発行する、地元の河川を紹介する冊子を監修する立場で関わっていた。
地元から発信、活躍中の作家という肩書き。
そこで、1番最初に県の関係者一同が顔合わせをする機会があった婦產科醫生
わたしは編集担当者として顔を出したのだが、わたしはKちゃんの知り合いという触れ込み、前宣伝、自己PRをしていた。
まるで旧知の仲であるかの如く。
しかし、実際に会議の席で顔を合わせた時に、わたしを認識されるかどうか不安だった。
誰?この人?知らない・・・という展開。

学生時代に人を介して会釈しただけの間柄。
それと、同窓生が主催した実家古民家(商家)コンサートに参加した時に、Kちゃんも来ていた。
大阪市内の古い大きな商家で、1階は、「田の字」に配置された4つの和室の襖を全部外して解放され、広い客席になっていた。
蔵も改装され2階はカフェになっていたような??
ついでにかどうかは知らないが、Kちゃんの本を紹介していて、そこでサインをしてもらった。
たったそれだけの接触なので、Kちゃんがわたしを覚えているかどうか、自信がまるでなかった。