空よりも天高く -3ページ目

空への手紙

間もなくクリスマスがやってくる頃、
私は毎年花を買います。

私が21歳の時に亡くなった、高校時代の親友の命日だからです。
彼女は明るくいつも笑っていて、クラスの人気者でした。

ある日仕事から帰宅して、
母から彼女が亡くなった知らせを聞いたとき
最初に出てきた言葉は、涙と一緒にでてきた 
"聞いていたのに、、、" という言葉でした。

授業が終わった教室に2人、
「私ね、頭に病気を持っていて、次に何かあったら死んじゃうんだって」

いつもと変わらない何気ない口調で彼女が言った
あの日の光景を今でも思い出せます。
その言葉の意味を少しも理解できていなかった10代でした。


それから、数年後、、、

私は広告制作会社に転職をして、そこにいた一つ年上の
コピーライターというクリエイティブな仕事をしている女性と
知り合いになりました。

私とは全然違う職種で、頭が良くておしゃれなセンスの持ち主の彼女。

一緒にスカパラのライブに通い、
鈴鹿や富士までF1グランプリを見に行き
念願のケニア旅行にも一緒にいきました^^ 
(最高に楽しかった!!!)

知り合って10年後、彼女の家に遊びに行ったとき、
彼女の住む町に一目ぼれしてからは、ご近所さんにもなりました。

終電を気にすることなく、週末に朝方までファミレスでくだらないおしゃべりw
出不精な私を誘ってくれたのは、いつも彼女の方でした。


*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*


昨年の夏、
彼女から電話があり、肺がんになったことを聞きました。

聞けば、春ぐらいから声がしゃがれてでなくなり、
逆流性胃炎のような症状もあったので病院で検査したものの、
原因がわからず。

その後、胃の方は落ち着いたけど、
数か月たっても声がでないので声専門の病院で検査を受けたところ、
声帯の震え方から原因が別にあることが判明。

やっと肺がんであることがわかったそうです。
その時点で、ステージ3Bということでした。


腫瘍のできた場所が、
体の真ん中あたり、心臓の横の動脈の後ろで
手術が困難なため、抗がん剤と放射線治療をするとのこと。

最初はかなりのショックを受けていた彼女でしたが、
持ち前の意思の強さで、あっという間に前向きな彼女に戻り、
それからは弱音をはくことなく、闘病生活が始まりました。


抗がん剤入院を数回繰り返し、
あとはほぼ毎日、日帰りの放射線治療。

副作用も徐々に出てきてつらそうな時期もありましたが、
家族の暖かい看病もあり、
今年の春、見事に癌をやっつけ、
腫瘍マーカー1以下?になったとか。

"癌だったことを忘れてもいいぐらい"
とまで、先生に言われたそうです。


私たちは、おなじみのファミレスで、
お祝いのステーキを食べました!

手術をしない治療がどんなものかがわからず
内心不安もあったので、何はともあれ一安心。


それから彼女は仕事にも復帰して、
落ち着いたかのように思えたのですが
しばらく連絡がないのを不思議に思いメールをしたら
肩に転移して、放射線治療中との連絡。

癌をやっつけても、ステージ3というレベルは変わらないので、
その都度治療をして、やっつけていくのだと先生に言われたそうです。
喜んでいたのに、まったく意味がわかりません。

それでも、彼女はめげず、負けずで治療を続け、
肩の癌もまた、消えていきました。


*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*


9月中旬、またしばら音沙汰がないので連絡をしてみると
今度は、腰と頭に転移して、入院していると聞きました。

お見舞いにいってみると、彼女の左の頭の上には、
小さな拳サイズのコブができていました。

腰の治療を優先しているので、
頭の方は何も治療していないとのことです。

元気に彼女は笑って話しをし、
私が帰る時もエレベーターまで見送ってくれたのですが、
その翌週、知人を通して
右半身が麻痺して歩けなくなったことを聞きました。


再度彼女に会いに行くと、脳の圧迫によるものなのか、
言葉が上手にでてこなくなっていて、イエスとノーが逆になったり、
何か言いたそうにしてはやめるといった様子になっていきました。

彼女の方は、こちらの言葉を瞬時に理解しているようなのですが
自分からは話せないというもどかしさ。

そして、ご家族の方から、
"月単位で考えず、週単位で考えた方がいい"と
先生に言われたことを聞かされました。
脳の影響で、明日急に何かあってもおかしくないと、、、。


それから私は、できる限り、
仕事帰りや週末に病院まで彼女に会いに行きました。


彼女と違って、人を楽しませることが得意でない私は、
入院中の彼女に何をしたら喜んでもらえるかが思いつかず、
おいしいものを探しては持って行くぐらいしかできません。
自分の非力さが情けなく感じました。

そうこうしているうちに、私の体に疲れがでてしまい、
首に激痛が走って首がまわらなくなり、毎日整骨に通っては
その足で病院に行くといった日が続きました。


精神的にも、彼女とコミュニケーションが取りずらくなり
どうしていいか不安に思う日もでてきた頃、、、
その後に行われた頭の放射線治療の効果が少し出てきて
嬉しいことに、少しだけ会話ができるようになってきました^^

味覚も戻ってきたようで、持って行った焼き鳥やから揚げを
おいしいとバクバク食べてみたり、
横になりながら鼻歌を口ずさんだり、、、



少し元気になったかのように見えたのですが、
それから時間とともに徐々に体力も落ちていき、

2014年10月30日
彼女は生まれる前の場所へと帰っていきました。


*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*


彼女のお葬式は、無宗教形式で、
スカパラの音楽が流れる中、
花で埋め尽くされた会場には
たくさんの人が彼女に会いにきていました。

数年ぶりに会う人がたくさんいて、まるで同窓会。

そうれはもう、彼女の寝顔がとてもきれいで
キャリアバリバリに生きてきた人生
最期までかっこよく決めてくれるなぁと・・
私はなんだかそれがとても嬉しく
涙よりも、思わず笑顔があふれました。

すぐそこで、私たちを観察しながら、
"あーでもない、こーでもない"とお式のダメ出しをしているかw、
はたまた、ニコニコしながら
笑ってあぐらでもかいてみんなを見ているか、、、

そんなことを考えながら、私は彼女に弔辞を読みました。




私たちが親友と言えたかは、正直よくわかりません。

家族や彼氏と違って、一緒にいた時間は少なくて
彼女がいなくなったことを実感することもなく、
そして号泣することもなく、いつもの時間が流れています。



だけど、、、

毎日あなたのことを考えます。

空を見上げては、
"元気でやっているのかな"と思います。

私のことを大好きでいてくれたかはわからないけど
大事にしていてくれたことを、私はちゃんと知っています。



そっちの世界はどうですか?
すっかり落ち着いて、楽しく過ごしているのでしょうか。

それともバイタリティあふれるあなたのことだから、
もう次の計画を立てて、
あれやこれやと未来のことを考えてますか?


今、あなたが幸せでいてくれること

それが私の何よりもの望みです。


「またいつの日か、会いましょうね」