小学生の頃から、僕は呪いのようなものに取り憑かれていた。
それは「自分は将来、福祉関係の仕事に就く」という強迫観念のような、予言のようなものだ。
両親はもちろん、自分の身近なところに(すくなくとも認識できる範囲に)福祉にまつわる物事があったわけではない。
それなのになぜか「自分は将来、福祉関係の仕事に就くのではないか」という予感がしていたのだ。
そして「意識的にそれを避けないと、自分は必ずそこにたどり着く」という確信めいたものがあった。
どこにでもいる平凡な、スポーツ刈りの小学生の頭の中に、そんなものがあったのだ。
あれは小学校の…なんの授業だったのだろうか。
どの教科に分類されるのか全く思い出せないが、当時「いろいろな職業について調べましょう」といった授業があった。
クラス全員で図書館に行き、警察官だったり花屋さんだったり、各々が興味のある職業について調べるという授業。たしか複数の職業について調べ、その職につく方法や仕事内容、その仕事のつらいことなどをノートだか画用紙だかに纏めることが求められたような気がする。
希望にあふれ可愛らしい僕は発明家になりたかったのだが、夢のない小学校の図書館には「発明家になる方法」などといった本は置かれていなかった。
そのため、ときどき冗談交じりに「弁護士になりなさい」と言っていた父の言葉を参考に、弁護士という仕事について書かれた本を手に取った。
小学生にはムズカシイ(いまの僕にもムズカシイ)仕事について、ひと通り学んだところで次の職業の本へ。
ささっと目を通し、要点をメモし、また次の職業の本へ。
次の職業も、ちゃちゃっと調べて、次の本へ…
当時の僕は要領のよい…、悪く言えば落ち着きがなく、ずる賢いやんちゃ少年だったのです。(「希望に溢れ可愛らしい」ことと「落ち着きがなくずる賢く、やんちゃ」であることは背反しません。異論は認めないっ)
そうやっていろいろ調べていく中に、「社会福祉士」もしくは「介護福祉士」があったのだ。
* * *
そのときの職業調べをきっかけとしてなのか、それとも既に意識していたから職業調べで扱ったのか…とにかく僕は、小学生の頃から「福祉」に縛られていた。
その「福祉」は中学生になっても高校にあがっても、僕の心の奥底にあり続けた。そしてときどき気まぐれに、思い出したかのように僕を恐ろしく締め上げた。
部活でバスケットボールをやっているとき
塾で勉強をしているとき
友達と8時間ぶっ続けでカラオケをしているとき
時と場所を選ばず、その鎖は僕を縛っていた。
余計だと思いつつ言っておくけど、僕は福祉関係の仕事を否定したくてこんなエピソードを語っているわけではないです。
「将来◯◯になる気がする」という、「根拠はないのに避けがたい(ような気分になる)謎の強迫観念のようなもの」自体を恐れていた…というお話をしたいのであって、この「◯◯」に「アイドル」が入ろうと「総理大臣」が入ろうと、関係はありません。
* * *
そんな僕も、大学に進学した。
進学する学部や学科を選択することは、自分の進む道筋を多かれ少なかれ定めることでもある。そして福祉に直結するような進路を選ばなかったからだろうか。
勉強に遊びに全力で体当たりし、寝る間も惜しんで本を読み、ときには青春っぽく悩んだりした。
そんな日々に忙しく、小さい頃から悩まされていた「福祉」のことを、僕はいつしか忘れていた。
すっかり忘れてから数年経った。
気づくと僕は、とある会社の、福祉関係の部署にいる。
* * *
『掏摸』という小説がある。
漢字には馴染みがないけれど、人混みで人の財布を盗んだりする「スリ」のことですね。
あとがきでは、著者が「小さい頃、遠くに、塔のようなものを見ることがあった。」と語る。
怖いような、でもどこか不思議な幻想。
あなたにも、似たような経験はありますか?
ではでは、あでゅ!