安田猛氏を悼む - 江本孟紀氏「あれほど打者を幻惑する投手はいなかった」 | ハロー・ベースボール!

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「転職活動のメモと野球観戦記」から始めましたが、
ほとんど野球のことだけになっています。

https://ameblo.jp/munerin52/entry-12460405550.html


背が高く、足の長い江本さんと、

ステップ幅が変わらないなんて、

ビックリ。


目で見える工夫よりも、

基本は、身体を遣っておられたのだと思う。


最多連続イニング無四球 81回


金田さんの400勝と同様に、

レコードブックから、

消えることはない。


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 1970年代にヤクルトの左腕エースとして通算93勝を挙げた安田猛(やすだ・たけし)氏が死去したことが20日、分かった。同じ47年生まれの江本孟紀氏(73)(本紙専属評論家)が“戦友”とのエピソードを明かした。

 忘れもしない。1971年2月16日。私はその前日に熊谷組からドラフト外で東映に入団。静岡・伊東キャンプに行く途中、新幹線から乗り換えるために降りた熱海駅で、大昭和製紙の三島キャンプに向かう安田と、ばったり会った。

 「何してるの?!」「きのう東映と契約して、伊東に行くんだ」。早大と法大。東京6大学野球のライバルが、その後、プロでしのぎを削る仲になるとは、なんという縁だろう。


 南海を経て阪神に移籍した76年。ヤクルト戦で投げ合い、攻守交代でマウンドに立ったとき、「えっ」と絶句したものだ。

 安田は私より、だいぶ身長が低いというのに、踏み出す足の幅の跡は、あまり変わらない。さらに、プレートのあちこちを使って投げた形跡もある。ステップの時点からバリエーションを駆使し、投球フォームも上から、サイド気味からと、縦横無尽。田淵幸一さんをはじめ、阪神打線は翻弄されていた。あれほど打者を幻惑する投手は、いなかった。

 病気のことは以前から耳にしていた。頑張ってほしいと願っていた。同学年の好敵手がまた1人、逝ってしまう。今はただ、寂しいとしか言いようがない。(