どうも、僕です。

 
 
 
昨日、奥さんとLINEしてて気づいたんだけど、、
 
 
 
最近、「愛してる」といってなかったなー。
 
 
 
※右が僕です。
のろけではありません。
 
 
子供産まれると言わなくなるってのもあるかもしれないけど、
 
前はとにかく怯えてたんだと思う。
 
 
 
とにかく確認したかったねー。
つなぎとめたかった。
 
 
 
愛という名の、
結婚という名の、
夫婦という名の、
契約でつなぎとめたかったんだなー。
と思う。
 
 
 
「愛してる。」が、
 
「(あなたも僕を)愛していると言ってくれ。」
だった。
 
 
 
 
すべては、
自分と言う人間の、
存在の承認のためだったと思う。
 
 
 
 
 
今はさ、
そうやって確認する必要ないって気づいたから、
そこまで言わなくなったのかもね。
 
 
 
(いやでも実際、
旦那の「愛してる」がマジで要らない時期って、
あるでしょ!!世の奥様!!笑)
 
 
 
 
まー、、
怯えてたんやなーと思う。
 
 
 
怯えてたし、
そんな自分を隠してたねー。笑
バレバレなのに。笑
 
 
今は、
怯えたとしても。
怯えてるなー、で、終わり。
怯えてたら「怯えてるわー」って、言うし。
カッコつけても、
疲れるだけだしねー。笑
 
 
 
 
 
 
 
 
「人に愛されたい」って、
「愛されてない」って、
自分が自分を受け入れられてないから、
他人に受け入れて欲しい。
なのね。
 
 
 
 
 
それが、
”夫婦”という名の、
”パートナー”という名の
依存になったりする。
 
 
 
自分の存在の承認を人に委ねると、
依存になる
 
 
 
 
 
 
僕も、
奥さんに依存してた。
 
 
奥さんに、
僕という存在の”肯定”や”否定”を肩代わりさせることで、
自分に向き合うことから逃げてたんだよね。
 
 
他人に評価されることで、
自分の価値を知ろうとしてたってことだからね。
 
 
 
 
 
 
 
 
ある時気づいたよねー。
 
 
旦那としてとか、
 
父親としてとか、
 
奥さんに好きでいてもらえる男性としてとか、
 
 
ああだこうだ勝手に偽物の自分像を作り上げて、
その通りにできない自分を責めて、
嫌われることに怯えて、
 
 
 
そうやって、
自分自身を問題視してたのは、
いつも自分だったと。
 
 
自分自身を許せない、
受け入れられないのは、
いつも自分だったと。
 
 
 
周りは常に、受け入れているのに。
 
 
 
 
 
自分で自分を受け入れるって言うのは、
自分のいいところを見よう、
長所を伸ばそうとか、
そういうエセポジティブじゃなく、
 
 
 
自分の負の感情もネガティブな自分も、
悲しみも怒りも全部ありのままに感じることからだと思う。
 
 
 
負の感情を問題視してるのは自分。
 
 
負の感情を無視すれば、
たくさんの感情も同時に消えていく。
 
 
感情が消えるってことは、自分の存在が薄くなること。
 
 
 
 
 
他人に自分の存在を濃くしてもらうことはできないよ。
 
 
だって周りがいくら、
あなたをありのままに扱っても、
あなた自身があなたの存在を認めて、
受け入れてなければ、
感じられないもの。
 
 
 
 
他人を愛す前に、
自分を愛そう。
 
 
愛するって、
受け入れることだと思うよ。
 
 
 
むねを