テレビ、新聞は自民党総裁選挙の話題を扱っているが、立候補予定者の中には20人の推薦人が確保出来ていないという人もいる。
自民党が党員、党友を集める際、「あなたも総裁・総理を選べます」とアピールし、党組織の拡大、安定を図った。
昭和52年、私の師匠中川一郎先生が自民党国民運動本部長の時、考えたものである。
昭和47年の総裁選挙で、田中角栄氏と福田赳夫氏が激しく争い「金権選挙」と言われた反省から、党員、党友が幅広く参加することで自民党全体での総裁選挙になった。
推薦人が10人の時、20人の時、30人になったり、その時々で変化があった。
昭和57年の総裁選挙の時は、立候補に必要な推薦人は50人だった。今では考えられない数字である。この時、中川一郎先生も立候補を表明し、推薦人集めに苦労した。中川派は13人の小派閥だった。37人足りなかった。しかし、中川一郎先生は必死に人集めをした。
参議院のドンと言われた玉置和郎先生が宗教政治研究会という政策集団をもっており、中川先生もメンバーだったので懇意にしていた先生もおり、13人協力してもらった。
当時、村上正邦参議が一所懸命動いて下さった。鳩山威一郎参議、源田実参議も財政再建、防衛予算の拡充を公約にするということで推薦人になってもらった。
まだ23人足りなかったが、福田赳夫派の参議院議員23人を名前だけ借りて50人となった。
総裁選挙告示の朝、中川先生は、「鈴木が一番苦労した。鈴木が名簿の届け出をすれ」と同志の国会議員のいる前で言ってくれた。
なんとか50人集まり、晴れて総裁選挙に突入したことが今も目に浮かぶ。43年前のことだが昨日のことのように想い出される。
今、20人の推薦人が集まる、集まらないで汲々としている人には、そもそも総裁候補になる資格があるかどうか疑問である。
政治家は日頃からの人間関係、付き合いが大事であり、「ある日ある時こうだから頼む」と言っても簡単に分かりましたとはならない。
今の国会議員は「俺が俺がの我の世界」の人が多い。属っぽく言えば、山賊、海賊の集まりと言ってもよい強かな人種である。日頃が大切であることは言うに及ばない。
9月12日、果たして何人立候補するのか注目したい。
国家国民のため、世界の中の日本から世界に責任を持つ日本のリーダーの出現を待ちたい。
朝の便で大阪に行き、大変お世話になっている浅田様の奥様のご命日の法要でお参りし、とんぼ返りする。
16時から8月東京大地塾。佐藤優さんが13日から18日までモスクワ訪問されたので、喫緊のロシア情勢を話してもらう。私も7月28日から31日までモスクワ訪問したので、合わせて報告する。
今月も熱心な人が出席して下さり、有難い限りだった。
20日のコメント
チョモ・ラン・マーさん、野田さんは日本新党スタートですので、保守の範疇と思います。
ミワさん、リーダーになる人は裂帛の覚悟で立ち向かってほしいです。
※東京大地塾