大晦日を迎え、時の経つ早さに驚く。特に70歳を超えてから何となく時間の経つのが早いと感じるものである。

 今年も大過なく元気に送れたことに神仏の加護に手を合わせる次第だ。

 今年は1月通常国会が始まり参議院懲罰委員長としてガーシー議員の問題の処理にあたった。

 2月21日委員会採決し、22日本会議で「陳謝」することで収めようとしたが、ガーシー議員は陳謝を受け入れると言いながら帰国せず3月8日再度懲罰委員会に付託され、14日委員会で「除名」とし、15日参議院本会議で戦後3人目の「除名」処分となった。

 国民から選ばれた国会議員の立場は重く、私としては尊い一票を投じた人のことも考え「陳謝」としたが、本人が全く反省の気持ちがなく、何よりも国会に出てこないので「除名」処分となったものである。手続き的にも瑕疵はなく除名処分は当然と判断したことである。

 10月1日から5日までロシアを訪問したが、ロシアに行くこと、モスクワでの発言に難癖や一方的なクレームが付けられ大きな話題になった。

一国会議員が外国出張でこれほど存在感を示せれるのは鈴木宗男だけだと思ったものである。

 日本維新の会が除名処分などと勇ましいことを言うので除名される筋合いではないと考え、私自身が判断し離党届を提出した。

 5月の連休にロシアを訪問しようとした際も日本維新の会の藤田幹事長から「鈴木先生には国益を考えて行動して戴きたい」と言われたので私は役員会で「あなたの100倍国益を考えてやって来た」と一刀両断した。

 この時から日本維新の会には外交についての認識は浅く、特に北方領土問題、日露平和条約交渉を全く考えていないと思い日本維新の会とはどうしたらスマートに離れることが出来るかと模索していたので10月の維新からのクレームは渡り船で絶妙のタイミングだった。

 政治家で最後一番試されるのは「人間力」であると考える。天国と地獄を経験した鈴木宗男が何故存在感を持ち生き続けているか、私なりに「人間力」は負けないという確固たる信念と自信を持っている。

 来年は選挙の年である。大阪で堂々と鈴木宗男の生き様を知らしめて行く決意である。

 今年の講演回数は21回(昨年は14回、一昨年は28回)、飛行機に乗った回数は239回(昨年は242回、一昨年は222回)、特急列車に乗った回数は33回(昨年は38回、一昨年は42回)だった。

今年も元気に働くことが出来、万物の霊長に神仏に、亡き両親、兄姉、家内の両親に心から感謝手を合わせるものである。

 読者の皆さん、今年も有難うございました。皆さん方にも心から感謝お礼申し上げます。ご健勝にて新年をお迎えくださいませ。

来年は鈴木宗男にとって何かにつけ勝負の年だと心し、決意も新たに汗していくことをお誓いし、大晦日のご挨拶と致します。有難うございました。

 

30日のコメント

 ひらけ日本さん、坂田さんは大師匠いわれました。心からのご冥福をお祈り致します。来年も鈴木宗男の生き様を示して参ります。

 さださんのおっしゃる通りです。派閥パーティーもピンチはチャンスでリーダーシップを発揮する時です。合わせて世界に打って出る時です。

 ひでおさん、米国民は賢明な判断をすることでしょう。

 慎一さん、ご家族のお気持ちを察するものです。

 tokoton山の男さん、政治家はいつも批判の対象です。しかし5年後、10年後「あの時の、あの政治家のお陰で今の日ロ関係がある」と言われる日があれば政治家の本懐です。

 松村訓明さん、昨年2月24日のウクライナ問題発生からいかほどの政治家が「停戦」を訴えてきましたでしょうか。私は「一にも二にも停戦」と訴えロシアにも行ってきました。批判だけの批判では解決になりません。鈴木宗男なりの行動を示して参ります。