今日は私の人生において忘れることのできない日である。

昭和58年12月19日午前10時半、テレビのテロップに「北海道5区 無所属新 鈴木宗男当選確実」と流れた。

 当時は、町村部は即日開票、市部は翌日開票だった。中川昭一さんだけが即日開票で当選が決まり、私は定数5人中の2番手で3,500票読みより足りなかった。

 一晩寝ないでいたら、小学3年の長男と小学1年の次男が夜中目を覚ましては「お父さんが当選しますように」と仏壇に手を合わせていた。その姿を見ながら、この子供のためにも何とか当選したいものだと神仏に願ったものである。75年の人生で一晩寝なかったのはこの日だけである。

 翌日、当選確実が出た時、秘書に小学校に行かせ当選を知らせたものである。メディアは「奇跡の当選」とこぞって報じ、まさに歴史の一ページを飾った。

 中川一郎先生のご兄弟の応援、松山千春さんを先頭に心ある後援者が「火の玉」となって闘ってくれたことを想い出す時、自然と涙が流れる。

 あの昭和58年は大冷害の年で、天をもが「即戦力 鈴木宗男」を後押ししてくれた。

 中川先生時代の秘書仲間も私に付いてきてくれた。何よりも家族の応援が有難かった。女房が私以上にというくらい日本一広い北海道5区を廻ってくれた。

 後に「代議士の妻たち」(文藝春秋)という本を家田荘子さんが出されたが、よく当時のことが見事に書かれている。

 あれから丸40年、誰よりも働いて来たと自負しながら、天国と地獄を経験しても政治家鈴木宗男は健在である。

 バッチがあろうがなかろうが鈴木宗男は生涯政治家として歩んで行く。死ぬまで国家・国民に奉仕の気持ちを持って生きて参りたい。

 改めて松山千春さんはじめかけがえのない後援者の皆さん、秘書、スタッフの仲間に、そして家内、子供たちに万感の思いで感謝したい。

 昭和58年、生まれていなかった長女貴子は現在、当選4回、まだ37歳である。

 鈴木宗男が見せれなかった景色、舞台を必ず見せてくれるものと世界一の親バカとしては、朝に夕に願い祈っている。

 

18日のコメント

 ひらけ日本さん、おっしゃる通りです。政治家が正直に何事にも取り組むことです。

 BAHOさん、歴史は繰り返すといいますが、過去の教訓を繰り返すのではなく、活かして行かなくてはなりません。鈴木宗男の道を歩いて参ります。

 ひでおさん、諦めてはいけません。政治の安定のため岸田総理に乾坤(けんこん)一擲(いってき)の期待をしましょう。

 松村訓明さん、批判するのは簡単ですが、政治の安定が今は大事です。ならば一縷(いちる)の望みを岸田総理に懸けていいと思います。

 さださん、ピンチはチャンスです。ここは意を強く持って国民の思いを断行することです。

 tokoton山の男さん、国民目線に立って岸田総理には化けてほしいですね。木原誠二代議士はじめしっかり者はおります。

 慎一さん、バランスですね。協調です。日本が中に入るべきだと思います。