11時半、ジョン・ムウエテ・ムルアカ君に会うことが出来た。普段と変わらない精悍(せいかん)な顔をし、まさに静かに寝ている様だった。「ジョン、どうした」と声をかけるのが精一杯だった。

奥様、子供さん方は厳粛な事実を受け入れている様子だったが、コンゴから駆け付けたご兄弟、ご親戚の人が泣き崩れる姿に胸が痛んだ。

 10月か11月には、私が寄付し、建設中のタンザニアアルーシャのキマンドル中学の寮が完成予定で、ジョンと一緒に行く約束をし、ジョンも楽しみにしていたことが想い出される。ただただ世の無常を嘆くのみである。

 明日の告別式、最後の別れをしっかり努めて参りたい。

 昨日の日刊ゲンダイDIGITALに、佐高信氏が「鈴木宗男に秘書として仕へ、振り回されたムルアカの『悲劇』」という記事が出ていた。

 記事中、高須基仁氏の本を引用し「それがおよそ20年前のことだから、さらに『狂気に満ちた眼』になっていたかもしれない。もちろん、そうなるには宗男の影響がある」と書いているが、ジョンの眼はいつも穏やかであり、会った人は「優しい、親切だ」と言ってくれる。佐高氏がいかほどジョンと話をし、ジョンの気持ちを知っているのか。

 佐高氏に言いたい。ジョン・ムウエテ・ムルアカ君は、鈴木バッシングの時もその後も、亡くなるまで私を裏切らなかった真の友人である。

 人の言葉じりや、揚げ足取りをするいい加減な評論家とは違うと言いたい。

ジョンの名誉に関することなので、弁護士と早速相談して行きたい。

 

11日のコメント

 さださん、アメリカに戦争終結の考えがないことに驚きです。

 ひとりの隣人さん、有難うございます。

 ひでおさん、ご配慮、有難うございます。

 慎一さん、あの当時のマスコミは、最初から「改革」VS「抵抗勢力」とわけていました。全く公平でないメディアの姿勢でした。

 tokoton山の男さん、一緒に行動し、汗し、涙したことを胸に刻んで参ります。