5日、札幌で開催した「第18回鈴木宗男・鈴木貴子北海道セミナー」に森山ひろし自由民主党選挙対策委員長が講師として来て戴いたが、多くの人から森山先生がどんな話をされたのかムネオ日記で紹介してほしいという声があり、40分近く話されたので、本日一部読者の皆さんにお伝えしたい。

 

皆様こんにちは。自由民主党の選挙対策委員長を務めております森山ひろしです。今日は北海道セミナー出席をできて本当に良かったなと思います。先ほどいろんな方がお話を聞かせてくださいました。松山さんのふるさとの思い、我々政治家が心しなきゃいけないことなんだということを改めて思いました。今日は初めての方が大部分でございますので簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。私は昭和20年4月8日の生まれでございますので、かろうじて戦前の生まれであります。田舎の中学校を卒業しまして、鹿児島に出てまいりまして、昼間はトヨタ自動車というところで働きながら当時の鶴丸高等学校の夜間過程に学びました。私の最終学歴は夜間高校卒業であります。30歳の時に二階堂進先生のお勧めをいただいて森山君、市会議員の補欠選挙で出てみてはどうかと勧めていただきました。同級生の集積もない鹿児島市で選挙を戦うことは大変勇気のいる話でありましたけれども、おかげさまで30歳の時に鹿児島市民の皆さんは私に議席を与えてくださいました。以来23年間鹿児島市議会議員を務めてまいりました。市議会は私に5回の議長の立場を与えてくださいました。平成10年の参議院選挙、鹿児島選挙区が2人区の最後の選挙でした。どうしても保守王国と言われる鹿児島で2議席取れないのはおかしいなどという話がはじまりまして、市議会議長の立場にありました私が参議院の候補になりました。もう一人の自民党の現職は井上吉夫先生という当時参議院の会長を務めておられた立派な先生でした。しかし参議院選挙というのは、やったものじゃないとわからない苦労がありますけれども、鹿児島県も奄美大島から出水まで600kmありますから。これはもう参議院選挙をするんじゃなかったと何回か思いました。参議院の会長が自民党から出ておられまして、党の大臣の応援というのは、ほとんどいただけませんでした。その中で私の応援に駆けつけてくださったのは鈴木宗男北海道開発長官ただ1人でありました。必死に2議席確保することが大事なことだということを訴えてくださいました。おかげさまで私の方がトップで当選をしました。井上参議院会長が、私に配慮していただいた関係だと思いますけれども、私の次の当選になりました。選挙が済んでお世話になった山中先生のところにご挨拶に参りましたら、「森山、お前は 99 点の選挙だった」と言われますので、「先生、当選したんだから 100 点じゃないですか?」と申し上げましたら、「お前が井上先生より上で通っちゃいかん」と言われました。「ま、しかし先生、選挙はもう結果ですから、しょうがないですよ」と笑いながら話をいたしました。最初の選挙の時に宗男先生に大変お世話になりました。また、鹿児島でのいろんな大きな事業のことも先生にご相談を申し上げたことはいくつかあります。1つ忘れることができませんが、徳之島に農業用水のダムを作るという計画があったんですけど、政権が民主党政権に変わってしまいましたので、なかなかそのことがうまくいかなくなってしまいました。しかし、今回逃したらもうずっとダムはできない。徳之島全体の農業に大きな影響がある。参議院の時、私はそう考えました。宗男先生にご相談をして、宗男先生がわざわざ徳之島まで行っていただいて、現場を見ていただいて、農林水産省に掛け合ってくださいました。おかげさまで着工ができまして、今徳之島の農業が近代化されつつあります。大変今までもお世話になってまいりましたし、今後も大変お世話になるんだと思っています。私は鈴木先生のご一家を見ていて思いますけれども、奥様が素晴らしい内助の功を発揮しておられますし、貴子さんの政策秘書はお兄さんが勤めておられます。本当に家族が一緒になって北海道のために、お国のためにという気持ちで頑張っておられるなという風に思っております。最初にご報告とご理解をいただきたいと思うことがあります。3月に実は北海道7区の支部長を鈴木貴子さんにするということを決めさせていただきました。また伊東よしたか議員は北海道にとっても、自民党にとっても極めて大事な政治家であります。引き続き頑張っていただかなければならない方でございますので、比例の第3支部長としてお勤めいただくことになりました。次の選挙があると、一番先に当選が決まるのは間違いなく伊東さんだろうと思います。比例の順番が間違いなく当選も確実にできるところに順番付けをさせていただく約束になっていますから、私が責任を持ってそれはいたします。ということは、選挙が始まった日に当選が決まるようなものであります。伊東さんには7区のことも頑張っていただかなきゃいけませんけれども、市長の経験も持っておられますから出来るだけ北海道のことを幅広く頑張っていただきたいなという風に考えています。今まで伊東さんを応援をしてこられた方々も複雑なお気持ちであることは私もよく理解ができます。しかし、ここは党が決めさせていただいた支部長の当選を目指すということだと思います。一致協力をしていただくことによって、伊東さんの比例の順番が間違いなく決まってくるということであります。どうかそこのこともよくご理解をいただいていただきたいな、というふうに考えております。中々、選挙というのは難しいものです。長い間支えてきた人が別な選挙区に行かれる、別な比例で闘われるということも、複雑な思いは重々理解ができますけれども、自民党の議席を確実に増やしていくためには、どうしてもそのことを乗り越えていかなければいけないなというふうに思っています。ただ、物事にはやはり歴史があります。何を言いたいかというと、平成27年12月22日ですが、私はこの当時農林水産大臣でした。この時に内閣制度の130周年の記念行事がありまして、鈴木先生もその官邸での行事に出席をしておられました。私は安倍総理と立ち話をしておりまして森山大臣TPPのことでご苦労をかけてるけれども、皆さんのご理解はどれぐらい進んだだろうかという話をしておりました。その時に、前を歩いておられたのが鈴木先生でして、安倍総理が「鈴木さん、鈴木さん」と言って呼 び止められて、2人の話がはじまりました。私は横で聞いていたんですけど、安倍さんが何を言われたかというと、和田先生(北海道5区)のちょうど補欠選挙の前ですから、「何とか新党大地で推薦をしてもらえないだろうかと。和田さんをどうしても当選させなければいけないと思っているんです」と言われました。「いっぺん時間を作って官邸に来てください」という話でした。それから1週間後、総理官邸に総理から呼ばれて新党大地代表である鈴木宗男先生が官邸に行かれて、新党大地として和田さんのご推薦ご支持をいただきました。その時にいろんな話があったと思います。ゆえにそれがずっとつながってきておりまして、今回の7区の支部長の選任にもつながってきているということであります。また、各級の選挙に新党大地のご推薦を自民党の公認候補がいただいていることも本当に感謝を申し上げておりますし、北海道においては新党大地との関係というのは大事にさせていただくということが極めて大事なことなんだとそう思っております。数々新党大地の皆さんにお世話になっておりますこと、この場を借りて厚くお礼を申し上げる次 第であります。

 

(中略)

 

来るべき衆議院選挙は極めて大事な選挙でございますので、新党大地さんのご理解とご協力をいただき、公明党さんとの連立を大事にさせていただきながら来るべき闘いに備えなければいけないと思っています。今日は稲津先生がご出席をいただいています。我々は連立を組んでおりますから、どういう政策をするかということは、公明党さんと自民党と協議をして決めますので、公明党の代表で稲津さんが出てきてくださっておりますから、北海道農業についても一番詳しい方でございますので、ぜひそのこともご理解をいただいて公明党さんと自民党の選挙協力がうまくいきますようにお願いを申し上げたいなというふうに思います。また、今日は中村道連会長もご出席をいただきました。岩本剛人さんもご出席をいただきました。船橋さんもご出席をいただきました。また、公明党の参議院の横山先生もご出席をいただきました。この方は水産の第一人者です。北海道はやはりいい政治家が揃っておられます。自民党も間違いなく、そういう時代が来るんだろうなというふうに思っておりますし、私は鈴木貴子さんの働きを見ていて、自民党で女性の総理総裁が誕生するとすれば鈴木貴子さんが一番近くにいるんだろうなと思っています。今の調子でしっかり頑張っていただければ女性として日本を背負っていただく政治家に成長されることは間違いないという風に思っています。どうか皆さん、そういう素晴らしい政治家を北海道は抱えておられることを誇りに持っていただいて、一緒に政治に参加をしてください。そして、自民党が国民政党であることをご理解いただいてお力を賜りますようにお願いを申し上げ、今日は大変貴重な機会をお与えいただきましたことに、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 

 苦労人政治家森山ひろし先生の人間味あふれるお話に、ただただ感謝したものである。

 私との出会いについてもよく覚えておられ、感心した。鈴木貴子代議士の将来についても大きな期待を寄せて戴き有難い限りだった。

 政治家は人間関係が財産であると改めて心したものである。

 

8日のコメント

 慎一さん、頑張って参ります。そうです一部切り取りのやり方は公平ではありません。

 谷口ダイゴさん、いつも有難うございます。

 さださん、まだ日本が国際社会の中で力のなかったころの出来事でした。

 tokoton山の男さん、50年前のことを覚えていて下さり感謝します。

 ひでおさん、金大中事件、今だ真相は明らかになっておりません。大きな力が働いたことは事実だと思います。