安倍晋三元総理が凶弾に倒れて早いもので1年になる。昨年のあの時、私は小樽市で参議院選挙応援の為、遊説中だった。携帯電話が鳴り、とると「安倍総理が撃たれて血を流している」と昔からの記者さんからの連絡だった。

 命は取り留めて欲しいと願いながら、自然に涙が流れてきた。夕方、「安倍総理死去」という最悪の事態となった。

 銃撃した山上なる者に言いたい。「日本と世界にとってかけがえのない人の命を奪った責任をどう考えるのか」と。何とも悔やんでも悔やみきれない出来事だった。

 平成27年12月22日、内閣制度創始130周年記念式典が総理官邸であり、歴代の総理、官房長官、副長官が招かれた。その時、安倍総理は私を見て、「鈴木先生、たまに官邸に来て下さい。積もる話しもありますので」と言われ、私は、「総理の時間、都合に合わせますので、いつでもいいです」と答えると、今井総理秘書官から、28日午後3時と連絡が入った。

 あの日は、日韓外相会談が韓国ソウルで行われ、慰安婦問題が合意した日であった。両国外相の記者会見があり、15時が30分ずれて、15時30分から安倍総理に会った。

 私が「慰安婦問題、一定の解決が出来て良かったですね」と話すと安倍総理はフゥ~とため息を漏らし、「これは日本も韓国もお互い守らなければならないことだ」と自分自身に言い聞かせるように話されたことが想い出される。

 そして「来年から日露をやりたい。協力してほしい」と約30分、熱く語られた。

 それから「貴子さんを自民党で育てたい」と強く言われた。私は「安倍総理にお任せします」と答えた。その後、「来年4月の町村信孝さん亡き後の補欠選挙、鈴木先生の協力がないと勝てない。7月の参議院選挙も是非とも協力戴きたい」と熱心に言ってこられた。私は即座に「分かりました。協力させて戴きます」と答えたことを今も鮮明に想い出す。

 この安倍総理との会談以降、衆・参国政選挙では、私は政治の安定のため、北海道では自民党候補、公明党候補を応援してきたのである。その判断は間違っていなかったと確信している。

 安倍晋太郎先生と私の師匠中川一郎先生が昵懇(じっこん)だったこともあり、晋太郎先生にも随分と可愛がってもらった。そして安倍晋三総理には、娘貴子が大変お世話になり、巡り合わせ、ご縁を感じながら、今も「安倍晋三元総理が生きていれば」と何かにつけ思うことである。

 安倍元総理が取り組んだ未来志向での日露関係、平和条約締結に向け、私は私の立場で取り組んで参りたい。安倍元総理に良い報告をしたいものである。

 10時30分からウポポイ(民族共生象徴空間)開業3周年記念式典に出席。アイヌ民族の権利確立に向け、更に努力しようと誓った。

 15時からウォーク&トーク(市民対話)を札幌大通公園で行い、16時から札幌大地塾。札幌も30℃を超える夏日で自然に感謝しながらのウォーク&トーク、大地塾であった。

 

7日のコメント

 さださん、日経の記事は正しく、佐藤優さんも同じことを以前から話していました。日経さんの報道は正確であると受け止める次第です。

 ひでおさんの歴史認識に同意します。ロシアは日本にとって死活的に大事な重要な隣国です。


※ ウポポイ(民族共生象徴空間)開業3周年記念式典








※札幌大通公園でウォーク&トーク






※札幌大地塾