昨日は沖縄慰霊の日だった。今年で戦後78年を迎えるが、沖縄は最後の本土決戦となり、20万人以上の犠牲者が出た。その内、沖縄の軍人、軍属、民間人は16万人亡くなっている

沖縄戦で次に多いのは、北海道の兵隊1万2000人である。私が沖縄に思いを寄せた背景には、北海道の兵隊が沖縄で、地元沖縄の人の次に多く亡くなったことに去来する。

また、大田海軍中将が「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを…」と最後の電報を打たれた事も私なりに心した結果である。

 今尚、沖縄には駐留米軍の74%が集中している。地政学的な側面はもちろんあるが、平和の配当は等しく全国で受けている。沖縄にだけ過重な負担をかけてはならない。

 終戦後、沖縄が本土復帰したのは27年後である。このハンディも考えなくてはならない。政策的に沖縄に配慮はしてきたが、まだまだやる事はあるとの想いを持って私は沖縄と向き合って参りたい。

 慰霊の日を迎えながら、平成9年12月、私は国務大臣・沖縄開発庁長官として、学童疎開船「対馬丸」の沈没地点発見に尽力した。

 当時、厚生省は対馬丸発見に消極的であり、小泉純一郎厚生相とも激しいやりとりがあったが、私は押し切って進め、結果を出した。

 喜屋武盛榮対馬丸遭難者遺族会会長、下地幹郎代議士が涙を流して要請、陳情にきて、それに応えたこと政治家鈴木宗男の誇りに思う実績の一つである。

 朝7時発の便で羽田から千歳に飛び、10時から北千歳駐屯地での「第一特科団創隊及び北千歳駐屯地開庁71周年記念行事に出席。

 15時から札幌で今月の大地塾を開催。通常国会を振り返り、参議院懲罰委員長してガーシー参議院議員を各党各会派全会一致で除名処分した経緯を話す。また、今国会の重要法案であった入管法(出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案)の採決での立憲・共産党両党の委員会ルールを守らない実力行使があったこと等説明する。

 札幌も初夏の兆しで、まさに北海道の季節到来と心が弾む次第だ。

 

23日のコメント

 さださん、自分の子どもを人間扱いしない親に、また、親を親と思わないその行為に、私は何とも言えぬ怒り、憤り等、気が高まります。

 tokoton山の男さん、日本の良き文化、伝統である人と寄り添う、助け合う心を今一度取り戻さなくてはとつくづく思います。

 ひでおさん、私がいつも言っているように日本が半年早く降伏していれば、東京大空襲も沖縄戦も広島、長崎に核が落とされることはありませんでした。停戦することが一番です。


※札幌大地塾例会