参議院議員を4期24年務められた青木幹雄先生が昨日亡くなられた。「参院のドン」とメディアは表現しているが、青木先生は事を荒げて進めて行く人ではなく、人の話をよく聞く調整型政治家であったと私は受け止めている。

 参議院で自民党が単独過半数を得ていない時、村上正邦議員会長、青木幹雄幹事長体制だった。

 当時、村上先生はオウム真理教の麻原彰晃尊師をもじって「村上尊師」と呼ばれていた。

 青木先生は「尊師」と野党との中に入り、時には党内調整もしっかり行い、懸命な国会運営をなされた。

 私は昭和58年衆議院議員となり青木先生は61年参議院議員になった。竹下登先生が「鈴木君、青木君を宜しくな」と言われたことが懐かしい。

 森喜朗元総理は「学生時代から青木さんにはお世話になった。学生の時、青木さんの処に行くと飯が食べれるんだ」といつも言っていた。

 小渕改造内閣で野中官房長官から青木官房長官になったが、あの時、野中先生が留任を希望すれば当然続投だったが、野中先生は「権力の座は長く居るものじゃない。青木さんにやってもらう」と淡々と言われた。

 小泉政権になり自民党総裁選挙で青木さんが小泉さんの推薦人になり、野中先生と(たもと)()かつことになったが、しばらくしてから「青木さんは青木さんの立場があったのだろう」と野中先生は淡々としていた。

 平成時代の大きな足跡を残された政治家が旅立ってしまった。

 「お互い立場がある人だから上手くやらんといかんわね」と話す在りし日の青木幹雄先生が想い出される。

 「立派な政治家人生でした」と心から称え、お疲れさまでしたと万感の思いで申し上げ、ご冥福をお祈りしてやまない。

 

12日のコメント

 松村訓明さん、教育は国の基本です。医療、環境、福祉、直面する大事な課題です。万般に渡り対応して参ります。

 

 さださんの見方が一般的かと思います。

 tokoton山の男さん、衆議院議員は常在戦場です。日頃の活動が一番です。

 ひでおさん、前を見て雄々しく前進して下さい。

 ひらけ日本さん、「青木率」よく言われましたね。「大義」はついてくるものです。

 チョモ・ラン・マーさんのご指摘、しっかり頭に入れて参ります。