NHK日曜討論は、G7広島サミットを控え「核なき世界 実現へ いま何が必要か 広島サミットの発信は核軍縮をどう進める」についてだった。
元外交官、民間団体の5人による討論だったが、ご覧になった方はどんな受け止めをされたであろうか。
それぞれの思い、理想を語ってもどう実現に持って行くかが大事ではないか。
今日の討論会に政府側から1人位出席していた方がより中身のある議論になったのではと思った次第だ。
78年前、広島・長崎にアメリカは核爆弾を投下した。今尚、後遺症等で苦しんでいる人がいる。
原爆を落としたそのアメリカはいまだ日本はもとより世界に向けて原爆投下を正当化しても「間違っていた。使ってはいけないものだ」と言ったお詫び、反省はない。
日韓関係、日中関係について日本はたびたび指摘され、反省の意を表明している。核なき世界に向けて各国が努力、協力していくのは当たり前である。
第三次世界大戦は地球がなくなることに繋がる。広島サミットで先ずはアメリカバイデン大統領に「核を広島・長崎に使ったことは間違いだった」と言わせることが核なき世界に向けての大きな一歩、スタートではないか。
岸田総理が被爆地の宰相というなら尚更である。アメリカに言わせるべきではないか。本気度に繋がって行くのである。
今日は母の日である。「親孝行したい時に親はなし」ということわざがあるが、この歳になると親孝行できなかったことが悔やまれてならない。
19歳大学2年の時、父が脳溢血で亡くなり、母は仕送りに苦労した。私もアルバイトをして頑張った。
母は、千円、二千円のお金を毎月送ってくれた。結婚する時、質屋さんが私に「宗男さん、お母さんは着物を持ってきてあなたにお金を送るんだと言っていました。お母さんのその気持ちを忘れないで下さい」と教えてくれた。今もそのことは鮮明に覚えている。
平成14年逮捕。平成15年437日の拘留から出てきて受けた人間ドックで胃癌が見つかり選挙出馬断念。翌年の16年4月6日、母は旅立った。
平成17年8月の郵政衆議院選挙でカムバックしたが、母が生きているうちにという思いだった。
平成16年3月病院に見舞った時、母は「宗男、母ちゃんは悪いことをする子供は産んでいない。だからもう一回国会に行け、頑張れ」これが母との最期の会話となった。
翌年、その約束を果たせたことに北海道はもとより全国の後援者に心から心から感謝するものである。
人との出会いに、ご縁に、ただただ手を合わせたい。
13日のコメント
niko mitaさん、有難うございます。与えられた立場で鈴木宗男の生き様を示して参ります。
チョモ・ラン・マーさん、いつも有難うございます。
慎一さん、正直者が、人一倍頑張っている人が馬鹿を見る社会であってはならないと思います。頑張って参ります。
GOOD LUCKさん、有難うございます。家内にはこれからも頭が上がりません。
松村訓明さん、いつも有難うございます。人生計算通り、思った通り行きませんが、生きていれば良いことがある、いや逆転もあると思って頑張ります。
tokoton山の男さん、人間の最高の表現は涙だと思います。嬉しい時、悲しい時、感激の時、悔しい時、そこにあるのは涙です。
Nouchiさん、有難うございます。私なりに努力して参ります。
ひでおさん、人生の出会いに感謝しています。
さださん、そうです。「青嵐会」が結成された年です。国内、海外、激動の時期でした。
tkiさん、ご縁とは面白いものですね。