私事で恐縮だが、昨日は結婚記念日で50年になった。昭和48年5月12日、中川一郎先生の仲人で京王プラザホテルでの披露宴だった。

 あれから50年、いろいろなことがあった。結婚10年後に中川先生が亡くなり、私と息子さんである中川昭一さんとの選挙は「骨肉の争い」とメディアがあおり、日本中の話題になり自民党の現職2人は、鈴木VS中川の話題で落選してしまった。

 「奇跡の当選」とメディアは取り上げ、1回生議員では圧倒的な話題を集めた。

 中川一郎先生が亡くなった時、私の人生は終わったと思った。故郷足寄にでも帰って農業でもしようかと考えたものである。

 あれは昭和58年1月17日16時20分、松山千春さんから電話があり「不謹慎かもしれないが、中川先生が命を懸けてあなたに与えたチャンスと思って頑張ろう」と言ってくれた。今も鮮明に私の手帳に残っている忘れられない出来事である。

 その時、家内も「あなた、政治家になるために秘書になったのでしょう。ここは勝ち負けじゃありません。筋を通すことです。ここであなたが出なければ、一生中川一郎自殺の原因は鈴木宗男と言われますよ」と背中を押してくれた。

 地元、足寄はもとより、帯広、十勝、釧路、根室管内で、若手を中心に鈴木出るべし、という流れになった。

 その後、いろいろなことがあったが、家内抜きにして政治家鈴木宗男はない。

 逮捕される時でも、収監の際でも家内は「家のことは心配しないであなたがいない間、家族も後援会も事務所も守っていきますから権力と闘って下さい。修行のつもりで日々送って下さい」と言って送り出してくれた。

 政治家鈴木宗男を語る時、家内抜きにしてはない。

松山千春さんが「宗男さん、いろんな政治家の奥さんを見てきたが、宗男さんの奥さんは別格だ」と言ってくれた。この言葉は家内への勲章である。直接、家内には礼を言っていないが、心から感謝してやまない。

 16時から京都で「UAゼンセン」で講演。日帰りする。

 

12日のコメント

 さださん、国益の何たるかを考えてリーダーシップを発揮してほしいものです。

 ひでおさんも経験したのですね。悪しき権力の乱用、使用はあってはなりません。しっかりチェックして参ります。

 慎一さん、頑張ります。