昨日の衆議院本会議で、国会議員として在職25年になり、院議を持って表彰された森山裕衆院議員のお礼の挨拶に感動した。

 人生、政治人生を振り返り、涙を流しながらの、まさに感謝を込めた心からの胸に沁みるものだった。

 読者の皆さんにお伝えしたい。

 

「この度、院議をもって永年在職議員表彰を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。

 とりわけ、地方議員時代から数えて48年間、苦しいときも応援をしていただいた地元の皆さん、ほとんど家庭を顧みなかった私の議員生活を支えてくれた家族に感謝を伝えたいと思います。

 戦局が厳しさを増す昭和20年4月8日、鹿児島が大空襲を受けた日に、鹿児島県鹿屋市の防空ごうの中で生まれました。

 実家は農業と新聞販売店を営んでおり、小中学生の頃は、朝6時から眠い目をこすり、錦江湾に浮かぶ桜島に一礼をし、自転車で新聞配達をする毎日でした。

 中学校卒業後、つらい農業はやりたくないと思い、鹿児島市の会社に就職しました。その会社の理解があったおかげで、働きながら夜間課程に通うことができました。

 30歳で鹿児島市議会議員に初当選をし、参議院議員として初めて国会議員のバッジをいただいたのは53歳。この選挙では、「地方分権・地域主権」を掲げました。23年間の地方議員生活で、日本を支えているのは地方であり、第一次産業であると実感をしたからです。」

 

中略

 

「『政の大体は、文を興し、武を振るい、農を励ますの三つにあり』。教育、国の守り、そして農業を大事にすることが政治の根幹であるという、郷里の偉人、西郷南洲翁の言葉を胸に刻んでいます。食料安全保障の重要性が今ほど高まっている時代はなく、今後もしっかり取り組んでまいります。

 これまでを振り返り、一つだけ誇れることがあるとすれば、政治活動に誠実に取り組んできたことです。多くの同僚に支えられ、自民党の国会対策委員長を歴代最長の1534日間務めさせていただきましたが、法案審議では、譲れない一線を守りつつ、野党の皆さんの意見にもできる限り耳を傾け、合意形成を図ってきたつもりです。

 小中学校の頃、新聞配達中に、頑張っているね、学校に遅れないようにねと優しく声をかけていただいた地域の皆さん。夜間課程に通わせてくださり、学ぶことができる幸せを教えてくださった勤務先の方々。農業を守り続ける郷里の仲間。政治家としての原点である市議会の先輩方。皆さんを思い出すたびに、『これからも、まっすぐに。前へ。』という気持ちに立ち返るのであります。

 今後も、国民と国会のため、引き続き誠実に邁進することをお誓い申し上げ、お礼の御挨拶といたします。この度は誠にありがとうございました。」

 

 苦労して人一倍頑張って来た森山裕代議士を称えたい。

 平成10年、森山先生が立候補する時「鈴木宗男大臣の応援を是非とも戴きたい」と当時、自民党鹿児島県連会長小里貞利先生が私の処に言って来た。あの時、橋本龍太郎総理、総裁だった。鹿児島は定数2で、現職には井上吉夫先生がおられ、私と同じ小渕派だった。

 しかし私は頼まれた以上、一生懸命森山先生を応援した。小里先生の関係で宏池会に入るのが自然だったが、森山先生は私との関係で小渕派に入ってくれた。

あれから25年かと振り返りながら、人は育っていると確信した次第だ。

 森山選対委員長の一層のご発展を祈念したい。

 

27日のコメント

 ひでおさん、ご苦労様でした。今後とも宜しくお願い致します。

 ナカさん、日本にとって隣国との関係は死活問題です。特にロシアは大事な隣国です。