佐藤優さんは、さまざまな月刊誌、週刊誌、新聞に、しかも主義主張問わず定期的に執筆されている。産経新聞にも「世界裏舞台」に月一回書かれている。

12日は「外交とインテリジェンス」という見出し記事があった。前段の部分を紹介したい。

 

筆者はこのコラムを病室で書いている。8日午後、主治医から「昨日採血した血液を培養した結果、細菌に感染していることが明らかになった。緊急入院してほしい」という連絡があった。その後の日程をすべてキャンセルし、都内の大学病院に入院した。

(中略)

病床で『安倍晋三回想録』(中央公論新社)を読み直している。この本は安倍晋三元首相が歴史法廷の被告人席に立つ覚悟を持って陳述した内容が多々含まれている。特に印象に残ったのが、停滞していた北方領土交渉を打開するために通常の外交ではなくインテリジェンス・チャネルを用いたという事実だ。平成30年11月18日のシンガポール日露首脳会談の過程においてだ。安倍氏はこう述べる。<外務省は、従来の4島の帰属問題云々にこだわっていました。ロシア外務省も、非常に日本との交渉に慎重です。本来、外交交渉を担うべきラインが、あまり機能しないのですね。そこで、プーチンに近い人物を探ったところ、セルゲイ・ナルイシキン対外情報庁(SVR)長官がいたわけです。プーチンは元KGB(引用者注*ソ連国家保安委員会)で、SVRは、KGBの後継機閑ですから、プーチンはナルイシキンを信用していました。しかも、ナルイシキンは過去に何度か来日していて、日本のことにも多少知識がある。この分野の専門は、北村滋内閣情報官でしたから、北村さんからナルイシキンを通じて、プーチンに日ソ共同宣言でどうか、という話をしてもらったわけです。プーチンには、しっかり日本側の考えは届いていました>

 

 安倍総理が2018年11月14日、シンガポール日露首脳会談で「1956年日ソ共同宣言を基礎にして平和条約交渉を加速する」と最終的に決断したのは、10月に入ってからと私は受け止めている。

 私は2015年12月28日、安倍総理に呼ばれてからその後、毎月1回安倍総理と意見交換したが、シンガポールに行く前は「9月6日、9月21日、10月25日、11月8日」と会って安倍総理に現実的解決論を進言した。

 1956年、日ソ共同宣言に係わった交渉責任者松本俊一さんの「モスクワにかける虹」の復刻本の大事な部分に私は付箋を付け、赤ペンで印を付け、安倍総理に渡した。アメリカダレス国務長官の恫喝等、1956年のやり取りを安倍総理は完ぺきに頭に入れられた。

 2018年10月25日会った時、安倍総理は「これしかないですね」とポツリ言われ、11月8日シンガポール会談の前会った時「1956年宣言で行きます」とキッパリと言い放った。安倍総理の決意が伝わって来たものである。

 私は安倍総理と会う時、必ず話すことを紙にして渡した。安倍総理は私の話をソチでも長門の会談でも引用してくれた。

 佐藤さんの記事を読みながら改めて安倍総理がもう一年健康であったなら、そして昨年、凶弾に倒れなければと詮無(せんな)いことだが、つくづく思うものである。

 安倍総理のご冥福をお祈りしながら、佐藤優さんの一日も早い退院を願ってやまない。

 

12日のコメント

 しんいちさん、全国から同じようなご指摘、厳しい声が届いています。

 山下裕勝さん、人生出会いに感謝しています。

 さださん、私の長い政治生活の中でいろんな記者、また関係者と会いましたが、田勢さんは忘れえぬ心に残るお一人です。

 tokoton山の男さん、戦国の時代、権力者と戦って負ければ打ち首です。民主主義は打ち首にはならず、本人の信念、心構えで復活もあります。支えてくれた応援してくれる尊く心ある皆さんにただただ感謝しています。

 nikoさん、有難うございます。

 ひでおさん、含蓄(がんちく)()んだ歴史考察、有難うございました。一にも二にも停戦です。

 どさんこ男子さん、早野透さんにもご指導戴きました。政治の語り部が一人、また一人と旅立って行き、淋しい限りです。