10時半から元日本経済新聞社の記者としてその名を知らしめた田勢康弘さんの告別式に参式する。

 テレビ東京で日本経済新聞社同期入社の島田社長早稲田大学同級生で雄弁会も一緒だった江島元伊藤園副社長が弔辞を述べられた。

 お孫さんのメッセージ、娘さんのお別れの挨拶は身内であり、何とも言えぬ絆、家族愛が伝わってきて、田勢さんの在りし日がよみがえってきた。

 最後、奥様が参列者に心のこもったご挨拶をされ「田勢はいつも挨拶は短く文書は簡潔にと言っていました。今日の私の挨拶及第点を戴けると思います」と述べられた。

 私は終了後、奥様に「及第点どころか満点でした」とお伝えした。

 田勢さんは1996年日本記者クラブ賞を受賞した敏腕記者でもあり、またコラムニストとしてもその名はとどろいていた。

 私も色々想い出があるが「FACTA」の2011年1月号で「異能政治家の″最後″」というタイトルの一文がある。私のことを取り上げている一部を紹介したい。

 

政治を観察することを職業にして間もなく40年になる。その間、会った政治家の数はどのぐらいになるのか見当もつかない。取材対象としての政治家との関係も、深かったり浅かったりとさまざまだ。付き合いの長さとは別に、忘れられない政治家、いつまでも心に残っている政治家も何人かいる。そのうちの一人が鈴木宗男である。

(中略)

ロシアでプーチンが大統領に就任した時、日本人の中ではだれよりもはやく信頼関係を築いた。その信頼関係が小渕恵三、森喜朗と二人の首相の対ロ外交にかなり貢献した。ロシアでは官民を通じてスズキの名を知らない人はいない、とまで言われた。私自身、小泉内閣当時「日露賢人会議」のメンバーで、プーチンの側近たちと会う機会が多かったので、軍関係者や企業経営者にいたるまで鈴木宗男の名が轟いているのを知って驚かされたことがある。彼が足しげく通って築いた人脈もあるだろうが、ロシアの権力機構の奥深く入り込んで情報収集をしてきた外務省の佐藤優の協力なくしてはできなかったことだ。

(中略)

近年の東京や大阪の地検特捜部の問題を考えると、「はじめに逮捕ありきの国策捜査」という鈴木宗男、佐藤優の主張もあながち見当はずれとは言えないような気がする。

「松山千春という人物の力は大きいですね。千春さんがあそこまで宗男さんをかばうんだから、という人が多いですよ」と私は彼に言った。

「ありがたいです。松山さんがいるからこうしてがんばれる」と足寄高校の後輩に敬称をつけて気持ちを表した。めったに政治家の資金集めパーティーには顔を出さないが、鈴木宗男のパーティーには毎年顔を出している。ほかの政治家のそれとはまったく違う。企業がパーティー券をまとめ買いし、代表者が顔を出すパーティーは、どこか雰囲気が冷めている。出席するほとんどの人が自分で1枚購入しているのだ。だから異様に人が多く、会場は身動きできないほどである。盛り上がるのは松山千春が登壇した時だ。

(中略)

新党大地という名前をつけた松山千春は9月下旬の「大地塾」でこう言った。「もし塀の中にいる間に解散・総選挙になったらどうするんだ。そのときは松山千春が先頭を走ってくれと、宗男さんに直接言われました」と留守を守る意思を表明した。

鈴木宗男は12月6日収監された。「どこの刑務所かわかったら必ず連絡します」と言った。握手で別れるときに涙目になっているのがわかった。1年5カ月ほどのち出所しても、以後、5年間は選挙には出られない。毀誉褒貶のつきまとう異能の政治家は、これで姿を消すことになるのだろうか。かつて田中角栄がそうだったように、かくして地の底から這い上がった政治家はつぶされてゆく。(敬称略)

 

 今から12年前の記事である。

 おそらく田勢さんはあの時、鈴木宗男の国政復活はないと思っていたと思う。

 田勢さんは私が公民権停止中でもテレビ東京の「田勢康弘週刊ニュース親書」にたびたび呼んで下さった。

 田勢さんの優しさ、そして田勢さんの記者魂ともいうべき姿に接し、私は勇気や希望を戴いた。

 お陰様で心ある後援者、有権者のお陰で国会に戻ることが出来た。あり得ないと思われたことをやってのけた以上、私は何があっても諦めない根性で職責を全うしたい。

 今度は天国で田勢さんが「異能政治家」から何と言って戴けるのか楽しみに待つことにしたい。

 田勢康弘さんのご冥福を心からお祈りしたい。

 札幌に行き、札幌大地塾例会、新党大地石狩支部の会合に出席する予定だったが、田勢さんの告別式が入り札幌に行けなくなり、大地塾は来週に延期し、新党大地石狩支部の会合はリモートで挨拶し、ご理解を戴いた。

 関係者にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げたい。

 

11日のコメント

 小和田康文さん、時間との闘いとなってきました。一日一日が大事です。しっかり取り組んでください。

 ひでおさん、「喝」と「お灸」は必要ですね。お体に気を付けて頑張って下さい。

 さださん、の見立て通りだと思います。私も札幌、東京、横浜での会合、人の集まりの中で「国会議員の何たるかを示せ」「国会の権威を考えろ」

と厳しく叱責されました。


※新党大地石狩支部セミナー会場の様子、東京からリモートで挨拶し、お詫びと御礼を申し上げた。