10時、飯倉にある外務省の外交史料館に行き、21日公開された外交記録、ペルシャ湾掃海派遣、ゴルバチョフソ連大統領の来日、8月ソ連のクーデター未遂に終わったが、ゴルバチョフ大統領の「生きている」との貴重な一報を取った佐藤優氏の公電等を拝見する。

 31年前の出来事だが、当時外務政務次官として歴史の場面に立ち会えたことを懐かしく想い出した。

 外交史料館訪問は2000年10月10日、杉原千畝氏の功績を称え、記念プレートを設置し、そのオープンの時以来である。旧知の懐かしいお顔にも触れ、嬉しい限りだった。

 1991年は激動の1年だった。1月17日に湾岸戦争が始まり、4月ペルシャ湾機雷除去のため、自衛隊が組織として初めての国際貢献となるペルシャ湾掃海部隊派遣、ソ連の最高指導者ゴルバチョフ大統領の来日、8月のソ連クーデター騒ぎ、12月社会主義国ソ連崩壊、そして自由と民主のロシア連邦共和国のスタート等々、後世歴史に残るいろんな出来事があった。

 私も1月末、エジプト、フランス、英国を訪問し、1月31日、イラクにいたベトナム避難民救援の為、日航機、全日空機それぞれ2機計4機でエジプトカイロに向かい、無事成田経由でベトナム本国に送り届けることが出来た。

3月には韓国、4月には湾岸戦争終結を受け、トルコ、エジプト、サウジアラビアを訪問し、クエートに行き、日本の支援を約束した。

 また、6月にはロシア、モンゴル、中国を訪問し、モスクワではロガチョフ外務次官と会談し、ゴルバチョフ大統領来日時に決まった平和条約締結の作業部会の第1回会合の日程を決めることが出来、モンゴルでは海部総理の8月訪問の先遣(せんけん)の役を果たした。中国北京では釣魚(ちょうぎょ)(だい)()(がく)(けん)副首相(外交担当)と会談した。

7月にはバーレーンに行き、ペルシャ湾掃海部隊を激励し、日の丸を背に日本を代表して働く自衛官の姿に接し、感激したものである。その足で、日本が主催する第1回TICAD(アフリカ開発会議)の参加協力の為、タンザニア、ケニア、ジンバブエ、ザンビアを廻り、そして政府高官としては22年振りとなる南アフリカを廻った。

 7月末から8月にかけて太平洋島諸国(フィジー・バヌアツ・ソロモン諸島・パプアニューギニア・オーストラリア・ミクロネシア連邦・米国)を廻った。そして10月初めには、51年振りの外交関係樹立のため、政府特使としてリトアニアに行き、ラトビア、エストニア、フィンランド、英国を訪問した。リトアニアに行く前に、杉原千畝さんの名誉回復をしたものである。

 10月末には米国、グアテマラ、ニカラグア、ブラジル、パラグアイを訪問した。

 1年間で32カ国を訪問し、空飛ぶ外務政務次官と言われたことが懐かしい。

 外交史料館でこうしたことを想い出しながら、あれから31年経った事を感慨深く振り返った次第だ。

 11時から都議会のドンとの異名を取った故内田茂氏の告別式に参列。岸田総理、森元総理、古賀誠先生らがお参りされた。

 気骨、信念、人情を持ち合わせた都政に名を残す都議会議員だった。私も都議時代、そして辞めてから尚、親しくさせて戴いたことが懐かしい。

 午後、札幌に向かい、挨拶廻りをする。

 

26日のコメント

 さださんのおっしゃる通りです。

 ひでおさん、おめでとうございます。調停、頑張って下さい。

 しんいちさん、一にも二にも停戦です。

 tokoton山の男さん、アメリカのイラク攻撃は国際法違反でした。そのアメリカがロシアを国際法違反と言っています。過去の事実関係をメディア、政治家はよく考えてほしいものです。


※ 外交史料館で公開された外交記録を拝見








※杉原千畝さんを称える記念プレートの前で