12月19日は、私の生涯において忘れることのできない日である。それは40年前の今日、初当選した日であるから。

 午前10時半、テレビから「北海道5区 鈴木宗男 無所属新 当選確実」と流れ、40年経っても鮮明に想い出す場面である。

 当時の開票は2日がかりで、投開票日の開票は人口の少ない「町・村」だけで、人口の多い「市」は翌日開票だった。

 私は即日開票で、定員5人の中で2位につけていたが、翌日の市部は票が出ないと見られており、即日での当選確実は中川昭一さんだけで、私を含め自民党現職の北村義和、安田貴六、新人の武部勤、社会党の岡田和春、島田琢郎、新村源雄7名が残り4議席を争う激戦だった。

 今でも目に浮かぶのは、小学3年の長男、1年の次男が夜中、目を覚ましては、何回となく仏壇に向って「お父さんが当選しますようにと手を合わせてくれた」姿である。それを見てこの子供のためにも当選したいものだと涙したものである。

当選が決まった時、宮野秘書を小学校に行かせ、「父さんは当選した」と伝えるよう指示したものである。

 勿論、松山千春さんにお礼の電話をした。「足寄から国会議員が誕生した」と泣いて喜んでくれたことが今も脳裏(のうり)に浮かぶ。

 いかに時が過ぎようと40年前の今日の出来事は昨日のように、いや、今起きているように感じている。

私を支えてくれた心ある皆様に万感の思いで感謝お礼申し上げたい。

 「人生出会い」、素晴らしい後援者に巡り合えた私は幸せ者である。

 

18日のコメント

 nikoさん、お身体大切にして下さい。私も体調管理は自分本人の責任と思ってしっかり向き合って参ります。

 sugibenさん、どこの家庭でもいろいろあります。我が家でも私は完全野党の位置付けです。

 さださんの受け止め、認識、私も同じです。

 しんいちさん、隣国とは折り合いを付けて未来志向で付き合って行くしかありません。

 チョモ・ラン・マーさん、一にも二にも停戦です。ご指摘通りです。

 ひでおさん、最終面接いかがだったでしょうか。成功を祈っております。

 tokoton山の男さんのご指摘通りと思います。自分中心の身勝手な価値観の頭づくりで進められることに恐ろしさを覚えます。

 

※昭和58年最初の選挙、必死のお願い