昨夜のスキージャンプ男子ラージヒル小林陵侑選手は、堂々の銀メダルだった。1本目142mを飛び、上々のスタートで、運命の2本目138m飛んだが、あと2m足りなかった。

 ノーマルヒル、ラージヒル両方での金メダルは勝利の女神も慎重なんだと思いながら、小林陵侑選手の頑張りを称えたい。

 もう1つ、スピードスケート男子500m、3人の日本選手の見事な滑りにしびれた。森重航選手が銅メダルだった。

 「森重 亡き母へ 雄姿」「航 スケート頑張れ」(読売新聞33面)の見出し記事が胸を打つ。

 「携帯電話から聞こえてくる母の声は小さく、かすれていた。力を振り絞るように一言だけ発した。『航、スケート頑張れ』むせび泣きし、言葉は返せなかった。2019年7月17日、ちょうど19歳になった日だった。母は4日後、57歳で旅立った。その半年前、乳がんが全身に転移していることがわかり、入退院を繰り返していた。病院に見舞いに行くと、『学生は勉強優先よ』と大学に行くよう諭された。医師から回復の見込みがないと告げられた母は、家族にこう伝えていた。『航の誕生日までは生きたい』」

朝日新聞27面も「大家族の末っ子、母に捧げる銅」、毎日新聞も20面に「母の『頑張れ』胸に 森重『銅、天国で喜ぶ』」、東京新聞も21面に「母さんやったよ 森重の恩返し」という見出し記事がある。

100分の1秒を争う500m、そこには目に見えない力が働く。森重選手を天国から手を合わせて見守ったお母さんの力、それに応えた森重選手の快挙である。森重選手のご一統には大変お世話になっており、他人事(ひとごと)でない思いだった。

8位入賞の村上右磨選手もよく頑張った。3位まで0秒08差であり、実力のほどを示した。所属会社には私の最初の選挙からお世話になっており、社長さんも「よくやった」と称えておられた。

残念だったのは新浜立也選手である。記録、実績では一番メダルに近いと言われていたが、なんとスタート直後にバランスを崩してしまった。なんという巡り合わせかと感じながら、最後まで力強く滑り切った新浜選手はやはり一流である。新浜選手のお父さんは、別海町で私の初代後援会長をしてくれたところで働いておられ、これまたお世話になっているので、テレビの前で精一杯応援したが、不運としか言いようがない。誰よりもご本人が悔いを残したことだろう。

3人それぞれのドラマを見ながら、人生一寸(ちょっと)したことで変わるものだとつくづく思いながら、3人3様の見事な勇姿に勇気をもらった次第だ。

今夜はスピードスケート女子500m、小平奈緒選手の連覇、高木美帆選手、郷亜里砂選手の滑りを応援したい。

朝の便で長崎に向かい、知事選挙で日本維新の会が推薦する大石けんご候補の応援。

久しぶりの長崎なので、昭和58年初当選同期の松田九郎元代議士のお参りをする。息子さんが出迎えて下さり、しばし40年前の想い出話に(ふけ)る。

 午後から、大石けんご候補の遊説を行ったが、手応えは十分である。段々知名度も上がってきているそうだ。この1週間が天王山であり、しっかり支えて参りたい。

 長崎にお知り合い、関係者がおられれば「大石けんご」と紹介して戴ければ幸いである。

 

※長崎知事選挙、日本維新の会推薦「大石けんご」候補の応援