今年は沖縄祖国復帰50年である。

 昭和47年(1972年)当時の佐藤栄作首相が感慨深い表情で万歳三唱をした姿が目に浮かぶ。

 沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作氏は、7年8カ月の長期政権に終止を打ち、次に総理になったのが田中角栄氏であった。あれから今年50年である。

 当時、私は秘書4年目に入り仕事も覚え、中川一郎先生も若手のホープとして頭角を現してきた時だった。

仕事に追われた日々で、朝5、6時に起き、夜中帰るのが当たり前で、苦しいとか、嫌だと感じたり、思ったことはなかった。若いというのはエネルギーが溢れていると今しみじみ振り返るものである。

 私事だが、昭和46年、47年、中川事務所で一緒に秘書をしていた女性が妻となるご縁に恵まれた。人の出会いとは、不思議なもので、その出会いは一生のかけがえのないものになることがある。

 「人生出会い」をモットーに生きてきた私だが、妻とは勿論のこと、松山千春さん、佐藤優さんはじめ北海道はもとより全国の後援者との出会いは私の最高の財産である。

 その沖縄だが、今年は選挙が続く。1月23日には辺野古移設をかかえる名護市長選、2月27日は石垣市長選、4月24日は沖縄市長選、そして9月末には知事選挙が行われ、今年は沖縄が注目される年になる。

 先の大戦では、唯一の本土決戦場となり、20万人の犠牲者を出し、戦後27年アメリカの占領下に遭った沖縄である。私は政治家として誰よりも沖縄と向き合って来たという自負がある。

沖縄の皆さんの思い、心をしっかり受け止めて、県道104号線実射訓練を平成8年(1996年)12月私の選挙区である矢臼別演習場に受け入れたり、平成9年(1997年)12月学童疎開船対馬丸を発見したり、記念館建設にこぎつけたりしたのは、沖縄の皆さんの声なき声に少しでも応えるためだった。

 生涯政治家として私は、沖縄は故郷北海道同様に取り組んで行くことをお誓いしたい。