産経新聞8面に「話の肖像画」が、プロボクシング元世界王者輪島功一さんの連載記事がある。

 19日の「故郷へ錦を飾った5度目の防衛戦」という見出し記事に、49年前を想い出した。記事の一部を紹介したい。

 

 《5度目の防衛戦は昭和48年8月14日、札幌市の真駒内アイスアリーナにイタリアのシルバノ・ベルチーニ選手を挑戦者に迎えて行われ、「故郷へ錦を飾る」形になった》

 北海道士別市から大志を抱いて上京してから13年、念願だった北海道での防衛戦をようやく行うことができました。

 士別からは両親や小学校時代の友人がバスを連ねて応援に来てくれました。また、会場にはイカ釣り船の大漁旗が翻っており、驚きました。私が中学時代をはさんで4年間、「漁師」として過ごした北海道最西端の久遠(くどお)からも、同級生や野球部仲間、漁業関係の人々が大勢、駆けつけてくれたのです。

 リングに上がると、感激の涙をこらえるのに必死でした。試合が始まる前から泣いてしまっては、3試合ぶりのスカッとしたKO勝ちを狙っているというのに様にならないですからね。

試合は簡単にはいかなかった。39年東京五輪のボクシング銅メダリスト(ウエルター級)のベルチーニ選手は思っていた以上のテクニシャンでした。

 《出だしは苦労したが、12回終了時でベルチーニ選手が試合を放棄。士別市では花火が上がった》

 叩き上げの輪島功一さんの思いが伝わって来た。

 昭和48年、この年は私にも縁があり、5月12日結婚をした年である。中川一郎先生の秘書になって5年目で、さあこれからという時だった。夢、希望に向けてスタートした時である。

 やはり目的、目標を持って人生は歩むべきだと。そこに一歩でも二歩でも近づけば、人生生きていて良かったと言えるのではないか。

 世界チャンピオンになった輪島功一さんは、夢を、大志を果たしたことになる。

 私にも夢、目標がある。それは北方領土問題解決である。私の立場で頑張り、努力して参りたい。

札幌に出て、年末の挨拶廻り。夜は今日、明日、松山千春さんの今年最後のコンサートに足を運ぶことにする。