今日の北海道新聞5面に昨日行われた自民党外交部会で、ロシアのミシュスチン首相の択捉島訪問について「『断じて容認できない』などと反発が相次いだ。佐藤正久部会長は『日本の主権という観点から看過できない動き。(ロシアの)実効支配が強化されている』と強調した。」と出ている。

 自民党の外交部会で、我こそは愛国者だという強硬発言があるとよく耳にするが、本当の愛国者は歴史の事実、積み重ねを踏まえて発言しなくてはならない。

 日本政府として、北方領土は日本領土であるという基本的立場は踏まえなくてはならず、ロシア政府に「北方領土に関する日本の一貫した立場と相容れず極めて遺憾であります」と抗議せざるを得ない。

 しかし、何回、何億回抗議しても、北方領土は日本に還ってくることはない。先の大戦の結果、今、北方領土はロシア(当時はソ連)が実効支配している。

 1945年2月のヤルタ協定、8月のポツダム宣言で連合国側は日本の領土は、本州、北海道、九州、四国とその周辺の諸小島となっている。

 1951年1月のサンフランシスコ平和条約で吉田茂首相は、受諾演説で、国後、択捉の千島列島を放棄した。

 1956年の日ソ共同宣言9項で「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」となっています。

 ソ連時代は「領土問題なし」と言うので、日本は、「四島一括返還」とその上に「即時」と言いました。

 1991年12月、ソ連が崩壊し、自由と民主のロシアとなり、エリツィン大統領が「クリル(北方領土)は未解決の地域で法と正義に基づいて話し合いで解決する」と言われ、日本は「四島一括」の旗を降ろし、「四島の帰属の問題を解決して平和条約締結」と大転換した。

 それから橋本、小渕、森総理で流れをつくり、そして2018年11月、安倍総理はシンガポールでの首脳会談で「1956年の日ソ共同宣言を基礎にして平和条約交渉を加速する」とプーチン大統領と合意しました。

 この安倍総理の合意を菅総理も継承することを昨年9月29日のプーチン大統領との電話会談で明らかにしております。

 議院内閣制のもと、与党が政権を担い、自民党の総裁が内閣総理大臣である。

 外交は政府の専権事項であり、その政府は与党自民党が中核となってできている。このことを自民党議員はしっかり認識して発言してほしいものだ。

 外交には相手があり、日本が100点、ロシアが0点、またその逆もない。責任ある外交交渉を進めていくしか解決の道はないのである。

 是非とも国際社会で通用する頭づくりを、自民党外交部会に出ている議員は、心してほしい。

 朝、羽田から千歳の一便に乗り、帯広に向かう。コロナの関係で帯広行きの朝の便が減便されているからである。

約2時間、千歳から帯広に車で着いたが、高速道路は便利がよい。かつてこの道路を車の通る数より、クマの通る数が多いと揶揄した大臣がいたが、今やこの道路は北海道の人道道路、経済発展の大動脈である。

この道路延伸に汗した私には、先見性があったものと自負してやまない。