オリンピック福島県で行われる野球・ソフトボールは観客を入れて行う予定だったが、内堀知事は10日、全て無観客と記者会見している。

 前日、北海道が有観客から一転無観客となったことも内堀知事は総合的判断の一つにしたとしている。

 復興オリンピック・パラリンピック2020年と訴えてきた日本である。福島での競技はまさに立ち上がった日本を象徴するものと期待していただけに残念である。

 外で大空の下で行われる野球とソフトボール、マスクをしマナー、ルールを徹底させれば観客を入れても問題ないと思うのだが。

 内堀知事も一部世論に迎合したということか。リーダーシップとは何かか問われるここ数日の出来事である。

 昨日の北海道新聞1面の「卓上四季」に目が留まった。読者の皆さんに全文ご紹介したい。

 

「あらゆる情実を脱し、字義通りに月評たらしめ、現在にのみ立脚すべきである」。月々に行う文壇批評の在り方について、文学者豊島与志雄がまとめた考えだ▼情実は真実を覆い隠す最も危険なる霧である。創作時の事情を酌量すれば、批評も自身の死滅を招く。そして肝心なのは現在の作品を皆同一の標準で律することだ、と説いた(「月評をして」)▼公正な姿勢が肝要なのは、なにも文芸批評に限らない。社会の規範たる司法の場においてはなおさらであろう▼河井克行元法相と妻の案里元参院議員が有罪判決を受けた公職選挙法違反事件で、現金を受領したと告発されていた100人全員が不起訴となった。東京地検特捜部はいずれも「受動的な立場だった」などとしているが、買収事件は受け取った側も処罰するのが法の定め。国民の理解は到底得られまい▼受領額は最大300万円。実際に票の取りまとめに動いた人もいれば、私的に使った例もあるそうだ。職にとどまったままの地方議員も多く、このままでは「もらい得」となりかねない。小額でも処罰を受けた過去の違反者は心中穏やかではなかろう▼批評家の最大の誤りは、名のある作家とそうでない作家の作品に同一基準を適用しないことと豊島は言う。霧が立ちこめると物の輪郭はぼやけ、色彩は輝きを失い、怪しい奇形な幻がつっ立ってくるそうだ。視界は良好だろうか。

 

 河井克行代議士と案里参議院議員の買収事件について書かれているが、買収事件は渡した側、もらった側、双方がいて買収事件となる

 検察は河井夫妻の事件は渡した者だけを処分し、もらった側は300万円、100万円、50万円もらっても罰せられていない。

こんな不公平なことが行われて、何を持って公正・公平と言えるのか。検察官のバッチが泣いている。

 もらった側を誘導尋問し、「河井夫妻を狙っているので、もらった側はこちらのう通りに答えてくれればよい」とシナリオ、ストーリーを作って行った担当検事の姿が浮かんでくる。

 「正義、真実より自分の出世や欲に駆られた一部検察官はいつの時代にも存在するものだ」という声が多数寄せられた。

 「国会でしてほしい」という指摘もあった。当然の思いだと同感するものである。

 新幹線で仙台に行き、私が最高顧問を務める全日本高段者麻雀競技大会の開会式に出席し挨拶をする。

 仙台から大阪に飛行機で向かい、兵庫県知事選挙日本維新の会が推薦するさいとう元彦候補の応援。十分な手応えを感じながらの遊説であった。

 衆議院選挙にも影響するので、しっかり結果を出して参りたい。