男子ゴルフ松山英樹選手がやってくれた。なんとマスターズ優勝、メジャー大会での日本人優勝は初めてである。
 ジャンボ尾崎選手が1973年8位になった時、いつかは日本人選手が優勝してくれるのではと脳裏を過ったが、あれから48年、まさに歴史的快挙である。そのことは菅総理のコメントにも表れている。
 最近のスポーツ界、テニスの大坂なおみ選手、競泳の池江璃花子選手と女性が目立っていたが、松山選手の活躍により、男子の話題も出て有難い限りだ。
 大したことを成し遂げてくれた松山英樹選手を称えてやまない。
 今日4月12日は、世界一危険な飛行場と言われる米軍普天間飛行場の全面移設が合意して25年になる。
 当時の橋本龍太郎総理が「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」と駐日モンデール米国大使と渡り合った姿が懐かしい。
 翌年12月、名護市の比嘉鉄也市長が、市長辞任と引き換えに移設を受け入れてくれた。その時、私は沖縄担当大臣であった。あの時のさまざまなやり取りが想い出される。
 私の考えはキャンプシュワブの一部を使い、山を削っての代替案だった。それが小泉政権になり海へ海へと進んで行った。
 あれから四半世紀、今尚世界一危険な空港は使われ、辺野古移設は実現していない。この空白は何だったのかと首を傾げざるを得ない。
 沖縄の玉城知事も政府も先ずは、世界一危ない普天間飛行場を使用させないことを優先し、一時的な使用として代替案を考えるのが現実的ではないか。
 今、いや明日事故が起きたらどうなるか。学校・病院・住宅地が密集している普天間飛行場であり考えただけでもゾッとする。
 25年前からの経緯を詳しく知っている政治家も少なくなった。私はその当時からをよく知る者として、一にも二にも普天間を使わせないことが一番だと思っている。
 政府、沖縄ともども寛容の精神で向き合う時に来ているのではないか。お互い、大人の対応をしてほしいと願ってやまない。
 夜、明日から始まる衆議院北海道第2選挙区補欠選挙のため札幌に入る。日本維新の会公認、新党大地推薦、鈴木宗男秘書「山崎泉」の出番である。