10時から北海道立足寄高校の卒業式に出席。はるか55年前昭和41年足寄高校を卒業した当時を想い出した。
 卒業後は、釧路市阿寒町雄別炭鉱に就職予定だったが、どうしても大学に行きたい思いがあり親父に話をし、拓大の二期試験が残っており受験手続をし、夜行列車で三日がかりで上京し試験を受け幸い合格したが、入学金、授業料を用意するため、家にいた馬の中で一番良い馬を売ってお金を用意してもらったこと、色々脳裏(のうり)を掠(かす)めた。
 雄別炭鉱は5年後閉山となり、就職していればどうなっていただろうか。
拓大の入学保証人に中川一郎先生がなってくださり、それが縁で秘書になり、中学1年の時、作文で「将来政治家になりたい」という夢を実現できた。
なによりも中川先生の秘書になり、一番の巡り合わせは事務所にいた女房と一緒になれたことである。
就職していれば女房との出会いもなければ、今日(こんにち)なかったと思うと人生の出会い、ご縁、巡り合わせに心から感謝するものである。
 卒業生への挨拶の中で「楡木校長先生が式辞の中で言われた『失敗から学ぶことがある。知性と理性を持って歩んで下さい』という言葉を忘れないように。私の経験からも人生、計算通り、思い通りには行かない。何があっても諦めない。しっかり前を見て邁進してほしい。辛い時、苦しい時、松山千春さんの『大空と大地の中で』の中に『生きることが辛いとか苦しいだとか言う前に、野に育つ花ならば、力の限り生きてやれ』この歌詞を口ずさんでほしい。皆さんの前途に栄光あれ」とエールを送らせて戴いた。
 母校の卒業式で挨拶できることを嬉しく思いながら、改めてこの55年間を振り返り、生きていて良かったとしみじみ感じ入ったものである。

※足寄高校卒業式