昨夜11時10分から11時40分までのTBSテレビ(北海道はHBC)「プロ野球戦力外通告」を見ながら、華やかに見えるプロ野球選手だが、光っているのは一握りの選手だけであるとつくづく思った。
 シーズン終了後、よもやの「戦力外通告」、わかりやすく言うと「クビ」である。
 そしてチャンスを求めてトライアウトに臨む選手を追った構成だったが、身につまされる、胸に沁みる番組だった。
 お父さんが巨人の中継ぎで活躍したが、戦力外通告される。10歳の男の子にとって自慢のお父さんであり、トライアウトにお母さんと一緒に球場に行き「パパ」と応援する姿にホロっとさせられる。
 奥さんは奥さんで気丈にインタビューに答えていたが、その不安と心配な気持ちが伝わってきた。
 テレビを見ながら38年前を想い出した。当時小学3年生になる長男、小学校に入学する次男が(まだ長女は生まれていなかった)、中川一郎先生が亡くなってから2カ月経った時、「お父さん、闘おう。東京から帯広に行っても友達すぐ作るから心配ないよ」と突然言ってくれた。子供なりに私の態度を見て考えていたのである。
 家内は「あなた政治家になるために秘書になったのでしょう。ここは勝ち負けではありません。ここで出なければあなたは一生中川一郎先生自殺の原因と言われますよ。筋を通すことです」と私の背中を強く推してくれた。
 家内と子供の話がなければ、鈴木宗男の人生は別のものとなっていただろう。
 トライアウトに挑むプロ野球選手、家族を見ながら、昭和58年の春に想いを巡らせる時、鈴木宗男は多くのかけがえのない人にお世話になって来たが、家族によって助けられ、救われたとつくづく思う。
中学1年の時書いた作文で「政治家になりたい。いや、なる」と言った夢が実現でき、天国と地獄を経験したが、国政復帰でき私は幸せ者だと感謝している。
 トライアウトに参加した選手達にどんなオファーがあっただろうか。何も連絡がなかった人が多いと思うが、諦めないで頑張って夢を追ってほしい。とことん男の勝負をして、そこでケジメ、区切りを付けてほしい。
 「生きていれば良いことがある。生きていれば逆転もある」と声援を送り続けたい。
 議員会館に出て事務所整理、後片付けをする。今年も後1日となった。