社民党は昨日の党大会で、立憲民主党に合流する人と残る人とで分裂することになった。合流する人は自分の生き残りを優先したのであろう。残った福島瑞穂党首は筋を通したことになる。
 1945年11月、日本社会党ができ1955年10月に左右両派が統一したが、それから二本(日本)社会党と言われて久しい。
 1994年(平成6年)6月、野に下った自民党が政権復帰のため、当時の村山富市委員長を担ぎ、村山首相が誕生した。
その後、村山首相は「日の丸、君が代、日米安保、自衛隊」、今まで否定していたものを全て認めてくれた。結果としてこれが社会党が衰退(すいたい)していくスタートとなった。
 当時の自民党は政権につくための一つの方策として社会党委員長を担いだが、そのことによって社会党が弱体化して行くことは予想していなかった。
 1996年(平成8年)1月、村山首相が伊勢神宮参拝後、突然辞任し、社会党から社民党になった。
振り返れば1990年(平成2年)2月、総選挙で土井委員長が「山が動いた」と言った時が社会党としての大きな力があったが、その後、細川政権、自・社・さ政権、2009年(平成21年)9月、民主党政権に参画したが、段々と存在感、影響力は弱くなって行った。
これからどうなって行くのか。福島党首がどんな舵取りをして行くのか見て参りたい。
 永田町に50年以上居て政治の変化を見てきた一人として、時代の変化を感じざるを得ない。
 大相撲琴奨菊が引退することになった。「かぶり寄り」で大関まで極めた個性力士だった。やはり年齢による体力の衰えは自然の流れだったのだろう。
ひたむきな土俵人生は一つのお手本として多くの力士、弟子が受け継いで行くことだろう。
 心からの労(ねぎら)いをし、今後は後進の指導にあたり、第二、第三の琴奨菊を育て、国技大相撲発展に貢献して戴きたいものである。