昨日の予算委員会で、森法務大臣の発言に対し野党側がクレームをつけ紛糾したことを報道で知る。
報道によると9日の参院予算委員会で、森法相は「検察官はいわき市から国民が避難していない中で最初に逃げた。身柄拘束している10数人を理由なく釈放して逃げた」と述べたそうだ。これに野党議員が反発したとのことである。
 森法相は弁護士資格もあり、勉強したことは間違いないことだろう。しかし、政治家には「地頭(じあたま)」、反射神経が大事である。
 9年前、検察官は逃げたことは間違いない。この点、森法相の言っていることは正しい。
 なぜ逃げたか、「検察官としての仕事をするために逃げた」と言えばなんでもないことである。
 身柄拘束をしている者を釈放したのも「大震災により取り調べができない状況になり、人道的見地から釈放した」と言えば済むことではないか。
 近年、政治家の「地頭」がなくなっていると心配するものである。
 阪神淡路大震災の時も、東日本大震災でも「田中角栄ありせば」の声がよく聴かれた。
田中先生は小学校しか出ていないので、勉強の機会は少なかったと思う。だが、「地頭」が優れていた。
政治家は勉強した政治家はいらない。「地頭」の良い政治家が必要なのである。
 私の言う「地頭」とは、国民の思いをしっかり受け止め、実行する政治家のことである。この点では今の政治家で、安倍総理は「地頭」が良い一番手である。
 森法相発言に立憲民主党の蓮舫参院幹事長は「大臣の資質は一ミリもない」と批判したそうだが、そっくり「あなたに政治家としての矜持(きょうじ)は一ミリもない」と言いたい。
 蓮舫氏が国務大臣の時、領土問題について日本が実効支配している尖閣を領土問題と言ったことを忘れているのか。
 国家の主権さえ理解しなかった人が何を言うかといいたい。身勝手な話である。
 震災9年目の昨日、テレビ・新聞は当時のことを振り返る特集が多かった。
 その中で私は2つの報道が目にとまった。東京新聞夕刊1面に「生まれる前に逝った父へ パパあいたいよ」という小学2年の奥田梨智さんの詩である。全文紹介したい。
 
いま どこのお空にいるの おうちの上のくもの上かな
 あいたいよ パパ 
登米市横山小 おくだりさと

 パパ あのね 
 つなみのときは
 ママと
ママのおなかのなかのわたしを
まもってくれてありがとう
パパ あのね
パパがてんごくにいったあと
七月一二日に
わたしが生まれたよ
パパ あのね
わたしは もう
一年生になったから
しんぱいしないでね
お空の上で
ずっと生きていてね
パパ あのね
ママからきいたよ
パパは
テニス やきゅう スキーが
すごく じょうずだって
とってもかっこいいよ
パパ あのね
ママとおねえちゃんは
かみをかわいくむすんでくれるよ
パパ あのね
ばっぱは
おんせんにつれていってくれるよ
おりょうりもおいしいよ
じっちは
わたしがすきな二チャンネルを
見せてくれるよ
やさしいからね
ぴいちゃんは
いつも わたしのめんどうを
みてくれるよ
こんどは わたしが
ぴいちゃんのめんどうをみるよ
パパ あのね
ママに ときどき
しかられるときもあるけど
パパのしゃしんのまえにきて
「ママにしかられたあ。」
とはなすと
パパのこえがきこえてきそうだよ
パパ いま
どこのお空にいるの
おうちの上のくもの上かな
あいたいよ パパ

 なんとも胸に迫る詩である。こうした思いの子供たちが沢山いることを考えると「政治があった」という結果を残したいと心するものである。
 もう1つ今日の朝日新聞20面に、父、祖父母を失った今年のプロ野球話題の新人ロッテの佐々木朗希投手のインタビューである。
 「『今こうやって、プロ野球選手として初めて迎えた日ですけど、立場が変わって、これからもっといろいろ発信していかなきゃいけないという思いがあります。亡くなった人の分も一生懸命生きていかないといけない。震災後、いろんなことを学べました。沢山のものを失って、改めて気付いたことも沢山ある。これからそういったことを後悔しないようにしていきたい。プロで活躍をしているところを見せたい』亡き家族に向かい、静かに目を閉じた」
 18歳にしては立派な心構えであると感心した。佐々木投手の活躍が被災された皆さんの希望、勇気に繋がることだろう。
 こうした心に触れるものを目にしながら、ただ、桜を見る会、IRがどうだと議論していることが国民の為になっているのか。
 国権の最高機関としての国会がその責任を果たしているのかとむなしく思いながら「政治は弱い人の為にある。政治は恵まれない地域の為にある。何よりも国民の思いをしっかり受け止めることだ」と自分自身に言い聞かせるものである。