今日は日米安保条約改定署名から60年である。
1960年、連日デモ隊が国会を取り巻き、最後は国会にまで突入し死者まで出た。内戦が起きている様相だった。
 当時、小学生から中学生になる頃で、政治に関心があった私は毎日、新聞を読みラジオに耳を傾けたものである。
 戦後、廃墟と化した日本が1951年(昭和26年)、サンフランシスコ講和条約に署名し、国際社会に復帰し、あわせて日米安保条約を調印した。占領下で、片務的条約であった。
まだ国力が弱かった日本は、日米安保条約で、軽武装で経済に特化することができ高度成長することができた。
そして1960年の日米安保改定は、日本の立場、主張が入った改定となったのである。
戦後の日本発展を考える時、日米安保の果たした役割は大きい。今、あの時のデモは何だったのかと思いながら、「政治があった。それは賢明な判断だった」と確信する次第だ。
 日米安保改定で岸信介総理は退陣したが、政治家が身体を張って成し遂げた功績は極めて尊いものであると先人に感謝するものである。
 あの当時反対した人、また、その流れをくむ人は今どう感じているのだろうか。
 時代も変遷し、1989年には東西冷戦がなくなり、対立から協調へと向かってきた。世界平和に向け日本の果たす役割は極めて重い。
60年前、日本安保条約を改定したのは安倍総理のお爺様にあたる岸信介総理である。
干支が一廻りし、この巡り合わせを誰が予見したであろうか。「安倍総理は何か持っている」とつくづく思うものである。
 2020年、安倍総理には新しい歴史を作って戴きたい。それは北方領土解決、日露平和条約締結である。
 釧路から帰京し、14時日米安全保障条約署名60周年記念レセプションに出席する。
 安倍総理が、岸総理とアイゼンハワー大統領との日米安保条約締結に至った経緯、両者の友情、信頼関係について心のこもった情熱溢れる話をされ、感銘を受けた。
 アイゼンハワー大統領のお孫さんが出席され、ご挨拶の中で歴史の巡り合わせを話され、言葉、肌の色を超えて、人間関係は尊いものだと思った。
 やはり安倍総理は「何かを持っている」と改めて思ったものである。