平成最後の甲子園、春の選抜高校野球は愛知の東邦高校が5度目の優勝で幕を閉じた。
 東邦 石川投手の投打にわたる活躍は圧巻だった。強豪校を撃破して決勝に進んだ市立習志野高校の健闘も称えたい。
 昨日の東京新聞夕刊4面にほのぼのとする記事があったので、全文読者の皆さんにご紹介したい。

忘れ物は、甲子園にしっかり残っていた。それを取り戻した2人の「元少年」は、喜びと無念を宿しながら、故郷茨城へと帰っていった。
 21世紀枠でやって来た、茨城県立石岡一高の、川井政平監督と林健一郎部長(ともに44歳)の描いた春のストーリーが、僕は好きだ。
 川井監督が国語科、林部長は体育科の教諭である。出身大学は違うが、青春時代、2人は茨城の名門、県立竜ケ崎一高の同級生。それも、甲子園を目指す野球部のチームメートで、同じ内野手だった。
 だが、野球の神様は時として非情である。1991年、竜ケ崎一が甲子園に出場した高校2年の夏、2人の明暗はクッキリと分かれた。川井少年はユニホームを着てレギュラーの遊撃手。林少年はアルプススタンドで応援の側にまわった。応援席とベンチは、実際は目と鼻の先である。だが、思い、境遇においては、大きな隔たりがある。
 川井さんは09年、2校目の赴任先として石岡一に移動して野球部監督になった。かたや、林さんは昨年4月、3校目の赴任先として石岡一に移動した。やって来た林さんに、川井監督が切り出した。「部長をやってくれないか。一緒に甲子園を目指そう」
 あの夏から実に四半世紀が過ぎていた。盛岡大付を相手に9回2死までリードしながら、白星を目前に石岡一は敗れた。「監督や子どもたちに勝たせてあげたかった。でも、本当に、甲子園の土を踏み、ベンチに入れてうれしかったですよ。監督や球児に感謝しています」と林部長は目を赤くした。
 林さんは「公立で同級生が同じ高校に異動するのは珍しい」と言う。交わることのない双曲線が、奇跡的に交わった、温かい春の物語である。

 友情・絆・人間関係の尊さ、重さを知らされる記事である。
 私も何回も読みながら、茨城県石岡一高が夏の甲子園にまた戻ってくることを願ってやまない。それにしても人生出会いであるとつくづく思った。
 18時より名古屋市で時局心話会例会の講演。中川一郎先生時代からのご縁で、これまた人間関係である。