ロシアのラブロフ外務大臣が昨夜、ラジオで発言したことに対し、日本のメディアは「日本側をけん制」と報じている社があるが、正しい受け止めではない。やり取りを紹介したい。

(記者の質問)
「チェスにはツークツワンクという局面(パスしたい局面)がある。これまでなかった平和条約を日本と結ぶ必要があるのか。日本とは、既に政治的・経済的関係があるし、日本との軍事的関係は、そもそもあり得ない。なぜ平和条約という紙切れのために「クリル」諸島に手を着けねばならないのか。」

(ラブロフ外相)
「我々は良好な対日関係に関心がある。話はとても簡単だ。我々は、国際法を遵守する。1956年、ソ連は、日本と所謂「1956年共同宣言」を締結した。ソ連がなくなった時、ロシア連邦は、権利継承国としてですらなく(権利継承国は、バルト諸国を除いた旧ソ連構成諸国)、唯一の継承国として認定された。これ(継承国)は、全ての資産と共に、義務を引き受けることを意味する法律用語である。これにより、CIS諸国との関係で、対外資産は「ゼロ決裁」となった。我々は、ソ連の全ての資産と同様、全ての義務を引き受けたのである。それ故、プーチン大統領が選出された時、同氏の大統領職在任中、初めてこの件が問題となり(私見では、日本の森総理と会見した時)、大統領は、ソ連の継承国として、1956年共同宣言を確認し、これを基礎に平和条約を締結する用意があると述べたのである。シンガポールで、我々は、1956年宣言を基礎として平和条約締結交渉を活発化させることを発表する旨合意した。ここで重要なのは、この文書が何に関するものかを理解することである。そこには、ソ連が返還の形ではなく、善意のゼスチャーとして、日本国民の利益と善隣関係の考慮によって歯舞群島と色丹島の引き渡す用意があると書かれている。プーチン大統領は、シンガポールやブエノスアイレスでの記者会見でも、ロシアが継承国となったソ連の直接の義務なのではなく、どのように、誰に、いつ、どのような資質で引き渡すのか、議論すべきことがあると再三説明している。これは、1956年の状況だ。その後、1960年、日本が米国と新安保条約を締結し、米国が事実上、日本のいかなる場所にも基地を設置することが出来るようになり、それに従い、現在、「トマホーク」の利用が可能な米MDのアジア展開の一部が既に設置されつつある。共同宣言を放棄したのは、日本自身である。従って、「宣言を基礎に」と語る時、日本列島に米軍のプレゼンスを可能にした1960年の出来事を無視することは出来ず、これは、我々の安全保障にとって重要な問題である。我々は、これを外交当局間、安全保障会議間の協議で提起し、反応を待っている。我々にとってこれは、直接的で現実的意味のある問題である。しかし、最も重要なことは、我々が、「1956年を基礎に」と語る時、これは、日本側が、第二次世界大戦の結果を無条件に認めることである。今のところ、日本の同僚は、それに向けた用意がないばかりではなく、そうしないであろうことを様々な形で示唆している。これは深刻なことである。私のカウンターパートが、日本の報道機関の前で、記者の質問から数回逃げたことを謝罪した。彼は、日本の立場が不変であることを理由に、そのテーマについて語りたくないと表明したが、仮に、そう言うならば、これは露側を挑発することになる。彼が挑発していないというならば、我々も自身の立場を表明することを躊躇しない。日本側が立場を変えないなら、それは、我々がかつてと同じ場所に留まることを意味する。つまり、第二次大戦の結果の否定である。第二次大戦の結果を認めることは、あらゆる対話、ましてや、法的協議の第一歩である。」

(記者の質問)
「本件は、次世代の判断に任せた方が良いのではないか」

(ラブロフ外相)
「我々は対話を拒否しない。が、私は、あなたに対話の条件と枠組みをお話しした」


 ラブロフ外相の発言は同様のことをこれまでも言っていた。
 1945年2月のヤルタ協定が北方領土問題のスタートである。ここからの歴史の事実を考えなくてはならない。
 1951年、サンフランシスコ講和条約で吉田茂総理は国後・択捉両党を放棄している。1956年、日ソ共同宣言では平和条約締結の後、歯舞群島・色丹島を日本の要望かつ利益にかんがみ、ソ連の善意で引き渡すことになっている。こうした積み重ねの上に今日(こんにち)の日露関係がある。
 ラブロフ外相としてロシア国民に対しての説明、さらに正しい歴史の事実を話す必要もあるだろう。
 なによりもラブロフ外相発言を冷静に受け止めることである。

※明日12月19日(水)7:17~8:00 ラジオ日本「岩瀬恵子のスマートNEWS」に生出演します。テーマは「北方領土問題の進展」です。是非、お聴きください。