昨日の夕刊、夜、そして今日の朝刊、テレビニュース、ワイドショーは、あおり運転初公判で持ちきりである。
 自分の行為が悪いにもかかわらず、あおり運転をし、結果的に2人が亡くなっている。殺人罪を引き起こしたと腹正しい限りだ。それを無罪を主張するとはとんでもない男である。
 「両親を一瞬にしてつまらない、いや、とんでもない男の為に亡くし、これから二人で生きていかなければならないこの姉妹の将来を思うと、石橋和歩をぶんなぐっても、けとばしても痛い目にあわせたい」と泣きながら私にいってきた人もいる。私も同じ思いだ。側(そば)にいるならこっちが殺人を犯すぐらいの憤(いきどお)りの気になる。
 目には目を、歯には歯をと短絡的に考えないが、兎(と)にも角(かく)にも許せないことである。
 本日の「産経抄」が私の胸に落ちた。読者の皆さんにご紹介したい。

 「米の横流しの罪で死刑を言い渡された父親を救うため、自分たちきょうだいが身代わりになる。16歳の「いち」は奉行にそう申し出た。奉行は、いちの最後の言葉にたじろいだ。
お上の事には間違はございますまいから」。小学校で読書感想文の課題になることの多い、森鴎外の『最後の一句』である。間違いのない判決が下されるのか。神奈川県大井町の東名高速で昨年6月に起きた、死亡事故の裁判が横浜地裁で始まった。
 石橋和歩被告(26)は、危険運転致死傷罪などに問われている。石橋被告は、萩山嘉久さんの一家4人が乗るワゴン車を「あおり運転」で妨害して停車させた。パーキングエリアでの迷惑駐車を萩山さんから指摘されて激高したらしい
 
車を降りた石橋被告が萩山さんを引きずり出そうとしたところに、後続の大型トラックが突っ込み、萩山さんと妻の友香さんが死亡した。石橋被告が事実関係をおおむね認めながらも、弁護側は無罪を主張する。危険運転の罪について、停車後の事故の規定がないというのだ
 
「自分が悪いことをしたのに逆ギレするのはおかしすぎます」。車内で一部始終を目撃した次女(13)の供述調書も読み上げられた。石橋被告に「悪いこと」をした自覚があり、深く反省をしているのか。被害者の遺族は見極めずにいられない。石橋被告の心の内を探ろうと取材を申し込んでいた小紙記者には、面会の条件として30万円を要求する手紙が送られてきた。
 
いちの言葉は「書院にゐた役人一同の胸をも刺した」と鴎外は書いた。「世の中のあおり運転を減らすために、被告を重い刑にしてほしい」。昨日、証人として出廷した長女(17)の涙ながらの訴えは、石橋被告の胸に届いただろうか。」

 皆さんはどう受け止めるであろうか。