金曜日東京新聞「本音のコラム」は、佐藤優さんの担当で「読者の批判に答える」という見出しである。全文ご紹介したい。

 5日に掲載された前回のコラムに一部の読者から批判があった。筆者は<そもそも辺野古新基地建設の端緒は、民主党政権時代、菅直人首相下で日米両国政府が、辺野古湾を埋め立ててV字滑走路を建設することに同意したからだ。立憲民主党の枝野幸男代表は、菅政権で内閣官房長官をつとめていた>と書いたが、V字滑走路の日米合意は2006年5月に額賀福志郎防衛庁長官とラムズフェルド米国防長官の間でなされた事実をほとんどの読者は忘れており、枝野氏が「真っ先に責任を負うべき立場にあったかのように読めてしまう」ので違和感を覚えるとの批判だ。
 06年5月のロードマップ策定で日米がV字滑走路に合意したのは事実だ。しかし、政府は実際の基地建設には踏み切ろうとしなかった。民主党の鳩山由紀夫首相の下で日本政府は辺野古沖の水域に飛行場を建設することを閣議決定した(10年5月28日)。その影響で鳩山政権は崩壊し、同年6月4日に菅直人政権が成立し、鳩山政権の日米合意を踏襲する意向を表明した。ただし、工法についてはI字かV字か最終的な結論は出さなかった。翌11年に菅政権がV字型滑走路建設を日米間で決定したことで、辺野古新基地建設の歯車が回り出した。この決断を行った政治家の責任はとても大きいと筆者は認識している。

 時系列として佐藤さんの指摘は正しい。
2006年(平成18年)5月小泉政権の時、日米で辺野古埋め立てで合意している。しかし、実際には工事に入らなかった。
 2009年(平成21年)政権交代した鳩山首相が、海外移転だ。少なくても県外だと言ったことでアメリカが強く履行を求めてきた。それが2010年(平成22年)5月28日鳩山政権で辺野古沖に飛行場をつくる閣議決定をした。
 その一か月後菅政権になり、その菅政権は鳩山政権での日米合意を踏襲することを明言し、2011年菅政権がV字型滑走路建設を決定したのである。その時の官房長官は枝野幸男氏である。
ちなみに菅直人氏は鳩山政権が誕生してから増税論者になってきた。鳩山首相は、4年間は増税しないと国民に約束し、政権交代を果たした。しかし菅直人その後の野田佳彦氏は増税路線に変わっていった。野党時代は牛歩までした政治家がである。
 閣議決定、しかも自分達が承認したことを今は反対というのでは、政治不信を起こすだけである。事実関係をよく考えてほしいものだ。
 14時半から名古屋市で「杉原千畝顕彰施設完成記念式典」に招かれ、テープカット、記念レセプションで挨拶する。
 今でこそ杉原千畝氏を人道的な勇気ある外交官と称えているが、平成3年私が名誉回復しようとした時、外務省は反対であった。
当時の佐藤嘉恭官房長と3日間議論し、最後は私に一任戴き、10月3日杉原幸子夫人、長男ご夫妻に外務省飯倉公館で正式にお詫びとその功績を称えたのである。
 杉原千畝氏が名古屋の第五中学校(現瑞陵高等学校)出身ということで大村秀章愛知県知事がその功績を残そうということでの顕彰施設完成である。式典に出席しながら27年前のことを想い出し、感慨無量であった。
 いつの日か私に対し政治家として何をしたかと問われたら「杉原千畝氏の名誉回復をした」と答えたい。
 政治家に批判や反発はついて回る。しかし、10年後、20年後、30年後、あの時にあの時代に鈴木宗男という政治家がいてこういうことをしたのだと評価してもらえれば本懐(ほんかい)である。