朝一番の便で千歳から女満別空港に出て、10時より十勝管内陸別町の開町100年記念式典に出席し、挨拶の機会を得る。
 私は足寄町大誉地の生まれだが、足寄の街から25キロ離れており、陸別の街は10キロであり、経済的には陸別町が近い。
 松山千春さんがよく「自分は街の子。宗男さんは山。字大誉地」といわれる所以である。
 日本一寒いことで知られる陸別町だが、この寒さが日産自動車のテストコースの誘致に繋がったりした。
 2月最初の土・日に行われる「しばれフェスティバル」は、今や全国的に有名になった。私の同級生や仲間が知恵を出したイベントである。
 「この町で生きたすべての人の想いとともに、また100年」という記念テーマだったが、小さくともキラリと光る故郷陸別であってほしいと心から願ってやまない。
 夕方東京に戻り、18時半から八角部屋創立25周年パーティーに出席し、八角部屋全国後援会長として後援者・関係者にお礼、感謝の挨拶をする。
 現日本相撲協会理事長 八角親方とは相撲界に入った「保志」と呼ばれた時から、そして天下の日下開山横綱北勝海、八角親方ともう40年の付き合いである。
 松山千春さんと八角親方と私は兄弟のように、時には切磋琢磨してそれぞれの道を歩んできた。
人生の出会い、巡り合わせに感謝するものである。

※十勝管内陸別町開町100年記念式典
※八角部屋創立25周年パーティー
※八角親方のご挨拶
八角部屋創立25周年記念ケーキ
北の富士さんのご挨拶
※引退された八角部屋の元力士と