安倍総理は昨日地元山口で「6年前、総裁選に出た時の志はみじんも変わるところはない」と述べ、事実上の自民党総裁選挙への出馬表明ともとれる挨拶をしている。
 郷土の偉大なる先輩、吉田松陰の「志定まれば、気盛んなり」の言葉を引用し、志が定まれば気力も充実し、しっかりと間違いなくやり遂げる決意を示している。まさに心の準備が出来ている証拠である。
 石破茂氏は10日の出馬会見で「石破を支持したら冷や飯だとか冷遇だとかいわれている」と安倍総理をけん制していたが、そもそも闘いに臨むものいい、表現ではない。国のトップを争う闘いは全身全霊をかけなくてはならない。戦国の世であれば首を取るか取られるかである。
 民主国家、民主社会であるから戦国時代とは訳が違うが、覚悟の程は時代が変わろうとも不変の価値ではないか。この点、安倍総理のブレない信念と挑戦者たる石破氏を比較すると心の持ちよう、責任の在り方が随分と差がある。
 政治の世界、時として権力闘争が起きる。18年前「改革、自民党をぶっ壊す」と言って小泉純一郎総理が誕生した。
その時、鈴木宗男は「抵抗勢力の一番手」と言われ、抹殺された。今でも日本はもとより、世界中で激しい権力闘争が繰り広げられているではないか。
 平成11年の自民党総裁選、小渕総理総裁に加藤紘一先生が挑んできた。結果は小渕総理の圧勝だったが、総裁選挙後、閣僚人事で加藤紘一先生が小渕総理にお願いの電話をかけてきた。
その時小渕総理は「加藤君、俺にはむかってきておきながら、これを頼む、誰を頼むというのは可笑しいのではないか」と毅然と電話を切った。
総理官邸でそのやり取りを聞きながら「人柄の小渕」と良く言われたが、政治家としての正しい判断、真っ当な考えをここ一番ではっきりさせることの重み、尊さを教えられたものである。
 過去の様々な総裁選挙、自民党の党内抗争を振り替える時、石破氏の頭づくりはゆるく柔らかいと思った次第である。