1996年静岡県清水市で、一家4人が殺害されたとする「袴田事件」の再審開始を求めるかどうかについて東京高裁は「再審認めず」の判断である。
 DNA鑑定の信用性を問うものだったが、裁判長がいかほどDNA鑑定に詳しいのか首をかしげる判決だ。
 検察も自信があるなら堂々と静岡地裁の再審を受けて立つべきではないか。袴田さんの無罪確定に向け、新たな闘いをしていかなくてはならない。私は市民目線で、袴田さんの無罪を信じ、最後まで協力して参りたい。
 密室での取り調べは検察側、警察側と容疑者、被疑者との神経戦、心理戦でもある。
 戦前、戦中はもとより、戦後もかなり一方的なストーリー、シナリオによって事件が作られていった。袴田巌さんもその犠牲者の一人だと思う。
 参議院のドンといわれ、尊師の異名を取った村上正邦元参議院議員は取り調べの時、検事から「村上」としょっちゅう罵倒されたそうだ。参議院のドンと呼ばれた人をメッパ出来る人はそうそういない。
村上先生は服従していくと検察のストーリー、シナリオに沿って事件化されていったそうだ。
 私の場合、取り調べ検事は東京地検特捜部副部長 谷川恒太という人で、この人は淡々とした取り調べで呼び捨てもしなければ、脅かしてくることもなかった。
ただ、私が娘のことを一番気にしていることを知り、取り調べの合間に「娘さんが心配しているでしょうね」とか「異郷の地で精神的にどうでしょうか」等々、心理戦をかけてきた。
 そうなると私自身、早く出るためには妥協した方が良いのではという気持ちになる。検察はそこを突いてくるのだ。
 幸い娘からは「お父さんほど働いた人はいない。だから絶対自分の歩んだ道は否定しないで。私のことは心配いらない。信念を持って闘って下さい」と毎日激励のFAXをもらい何よりの励みとなり、最後まで信念を持って私は検察と相対した。
 平成14年、あそこで私が検察の術中にはまっていれば、その後の鈴木宗男はなかったことだろう。
 私は東京地方裁判所に平成22年11月29日再審請求をし、収監に応じた。あれから8年、再審に向け刑事事件では日本一の弁護士と言われる弘中惇一郎、佐藤博史弁護士等々のお力をかりて今も協議中である。年内か来年には結論が出るものと思われるが、私は最後まで闘う。
 正直者が馬鹿を見ない世界にするためには誰かが闘わないと道は開けない。
読者の皆さんのご理解、ご支援を心からお願いする次第である。