歴史的な10年半ぶりの南北首脳会談が予定通り行われた。
板門店で両首脳の握手、歓迎式典、首脳会談の冒頭がテレビ中継され、何か不思議な思いを持ちながら、まさに新しい歴史が始まり、動いている感である。
 来月は日露首脳会談、それから米朝首脳会談と続く。世界が大きく変わろうとしている時、日本の国会は何をしているのだろうか。野党の審議拒否は、民主主義を否定するものである。
 昨日も書いたが、野党は国会でしっかり質問して国民の理解、支持を得ることにより選挙で勝つしかない。
与党から「解散」の声が出たなら、即刻「受けて立つ」「やりましょう」というのか野党の基本的立場なのに「何のための解散か」「疑惑隠しか」と逃げているようでは話にならない。
 「野党ではなく『ゆ党』(中途半端な政党)ではないか」と言った声が寄せられた。読者の皆さんはどうお受け止めだろうか。
 金曜日、東京新聞25面本音のコラムは佐藤優さんである。「官僚と倫理」という見出しである。全文紹介したい。

 筆者は外務官僚だった。官僚時代の経験で痛感したのは能力と倫理観の間にはまったく関係がないことだ。優秀な成績で外交官試験に合格し企画立案能力はあるが、料亭で醜態をさらし、その費用を政治家につけ回す官僚や、闇ルーブルで蓄財するモスクワの日本大使館幹部を見てきた。筆者は官僚には以下の四つのカテゴリーがあると考えている。
能力が高く倫理観も高い。
能力は高いが倫理観が低い。
能力は低いが倫理観が高い。
能力も倫理観も低い。

福田淳一前財務次官のセクハラ疑惑は、能力は高いが倫理観に欠ける官僚にありがちな問題だ。
 福田氏は、神奈川県立湘南高校を1978年に卒業している。筆者は埼玉県立浦和高校を同じ年に卒業した。当時、浦和高校と湘南高校は姉妹校で、毎年、定期戦を行っていた。こういう高率の難関校には、豪胆さを装うが本質的に小心な秀才が多い。福田氏が執拗に過ちを頑強に認めないのは小心だからと筆者は見ている。
 これまで財務省は、次官である福田氏を守ることが組織防衛と考えていた。これからは、福田氏を切ることで、財務省は組織防衛を図ると思う。その未来図が外務省という組織によって切られた筆者にはよく見える。

昨日の大地塾でも佐藤さんは同じことを話されたが、私も同感である。もうその動きは始まっているように感じられる。

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