安倍総理がリトアニア・ラトビア・エストニアバルト3国を訪問している。このニュースに接しながら、私も感慨深い。
 それは平成3年10月、この3カ国と51年ぶりの外交関係樹立のため外務政務次官であった私が政府特使として国交樹立の書簡を交換したのである。
 この時、リトアニアと言えば杉原千畝氏だと頭に浮かんだ。当時の岡崎事務次官から「例の件で辞めてもらう」(ユダヤ人にビザを出していけないという大臣命令に背いた)と言われた杉原千畝さんは一切外務省と接触することはなかった。
 平成3年10月3日、リトアニアに出発前に外務省飯倉公館に杉原千畝氏の幸子奥様、ご長男杉原弘樹ご夫妻を招き、杉原千畝氏の名誉回復をさせて戴いた。
 当時の新聞各紙の見出しを紹介したい。
 
読売新聞「44年ぶり名誉回復 不本意な退官 外務省、遺族に謝罪 訓令そむきユダヤ人救った 杉原元リトアニア副領事」

朝日新聞「『命のビザ』44年ぶり和解 故杉原氏の夫人外務次官と会う」

毎日新聞「故杉原千畝さん44年ぶり複雑 迫害のユダヤ人救った元外交官 外務次官『功績たたえます』」

日本経済新聞「リトアニアでユダヤ人救う 旧副領事の名誉回復外務省 訓令無視で千五に辞職 遺族にも謝罪」

産経新聞「故杉原千畝氏の功績やっと… 夫人らを招き外務省が謝罪 第二次大戦中ユダヤ人救った」
 
東京新聞「外交官故杉原さん44年ぶり名誉回復 外務省きょう遺族に謝罪 訓令無視 ユダヤ人6千人救い詰め腹」
 
北海道新聞「外務省 故杉原副領に謝罪 遺族『胸のつかえすっきり』」等々、写真入りで大きく扱われたものである。
 
当時の外務省の幹部はこの杉原千畝氏の名誉回復に反対だったが、私は佐藤官房長(当時)と3日間に渡り話し合い、最後は「政務次官の判断に任せます」と言質を取り、3日の飯倉公館での面会となったのである。
 安倍総理はリトアニアで杉原千畝記念館を訪問し、杉原氏の人道的行為を称えている。
 当時名誉回復に反対した外務省幹部はどう受け止めているだろうか。
安倍総理が杉原記念館を見てくれたことは素晴らしい日本人の外交官がいたことを世界に示すものである。外務省職員は自信を持って国益の為、職務を全うしてほしいものである。
 政治家鈴木宗男は間違いなく一つの仕事をしたと自負するものである。