今年も残り1日となった。28日に仕事納めをしているが、その後も働いている人がいる。
 菅官房長官は沖縄県名護市に行き、来年2月に行われる市長選挙立候補予定者渡(と)具(ぐ)知(ち)武豊(たけとよ)氏を激励している。現職との一騎打ちの選挙戦に先手を打った形の行動である。
 名護市長選挙は自民党推薦に加え、今回は公明党も推薦し、様相が変わってきた。
 2月4日の投開票に向け、激しい選挙戦になることだろう。渡具知武豊氏本人の乾坤(けんこん)一擲(いってき)の訴えが重要である。
 今年も各界の著名人が亡くなられたが、読者の皆さんは誰を想い出すであろうか。
 私は作曲家 船村徹先生が一番である。東京音大同級生で26歳の若さで亡くなった高野公男さんと作った「別れの一本杉」を作られた時の話を船村先生から直接伺ったことがある。
2人とも栃木・茨城と地方出身でなまりが強く、仲間に馬鹿にされ、2人だけの時間を過ごすことが多かったそうだ。
 そこで出来たのが「泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘(こ)と別れた 哀しさに 山のかけすも 鳴いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ」 
なんとも郷愁(きょうしゅう)のおびた色んな思いを持って出来た「別れの一本杉」名曲である。
 人生には一寸した出会い、巡り合わせで人生変わることがある。私も厳しい自然の足寄町大誉地で生まれ、そこで心身ともに強く鍛えられ、中川一郎先生との出会いで秘書になり、衆議院議員になり今日に至った。
 何よりもかけがえのない家族に恵まれた。年の瀬にあたり、今は亡き両親に心から感謝するものである。親孝行したい時には親はなしである。
 そして家内はじめ、子供達、家族に、何よりも私を支えてくれた、今も支えてくれる後援者に心から感謝するものである。