読売新聞2面「顔」欄に「『命のビザ』で救われ金融先物の父に レオ・マラメドさん(85)」の見出し記事がある。全文紹介したい。

 第2次世界大戦中、リトアニア領事代理の杉原千畝氏が発給した「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害を逃れ、戦後、米国で金融先物取引の普及に尽力した。日本市場の発展にも尽くしたほか、杉原氏の功績を世界に広めて対日理解を深めるのに貢献したとして、今秋の旭日重光章を受章した。
 リトアニアから家族とともにシベリア鉄道を経由し、福井県の敦賀にたどり着いたのは8歳の頃。花や果物で歓迎され、「天国のようだ」と感じたことを80年近くたった今も鮮明に覚えている。
 杉原氏の姿勢から学んだのは「誰でも世界を変えられる」ということだ。米国に渡ると金融先物市場を切り開き、世界最大級のシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)で会長を務めた。金融先物は企業が為替や金利を巡る将来のリスクを回避するために、日常的に活用される金融取引だ。その「父」として知られる。
 2011年には大阪証券取引所(当時)と業務提携を結ぶなど、仕事でも日本と深くかかわってきた。「彼のおかげで生きる運命に転がった。言葉では称賛を尽くせない行為だ」。今も金融市場の前線で活躍する傍ら、行く先々で杉原氏の勇気ある行動を語り続けている。

 私は平成11年4月、小渕総理の訪米に官房副長官として同行した際、シカゴでメラメドさんにお会いした。メラメドさんは私の案内をしてくれた。小渕総理のアテンドをする方なのになぜ私にと不思議に思っていたらなんと杉原千畝と署名されたビザを見せてくれた。
 「鈴木さん、私はこの人のお陰で今日(こんにち)あります。この杉原さんの名誉回復をなされたあなたは杉原さん同様、私の恩人です」と言ってくれた。
 19年前のことだが、今も鮮明に想い出す光景である。秋の叙勲で旭日重光章を受章されたが、私も嬉しく思った次第である。
 メラメドさんから送られた「エスケープ・トウ・ザ・フューチャーズ」この本の中に私に対し「ご多幸をお祈り申し上げます」と直筆のメッセージが寄せられた。
 政治家鈴木宗男として今までに何をしたかと問われれば、平成3年10月、リトアニアとの外交関係樹立のため政府代表としてバルト3国に行く前に外務省の反対を押し切って杉原千畝さんの名誉回復をしたことを上げたい。
 次に平成10年12月、学童疎開船対馬丸を発見したことである。
 遺族の皆さんが大臣になったばかりの私の処に来て「どこに沈んでいるか探してほしい。今までずっと歴代大臣に頼んできたが、誰もやってくれなかった。鈴木大臣ならば」と、涙ながらの話に私が答えたのである。
 時間が経っていくと忘れされがちになるが、私の胸にいつまでも燦然(さんぜん)と残る鈴木宗男の仕事であったことを誇りに思っている。