アフリカジンバブエで、独裁を続けていたムガベ大統領が軍により自宅軟禁状態にあり、退陣させられる情勢だと報道されている。
 約30年、大統領職にあり、長く権力を持っていると知らず知らずに公平とか公正という感覚がなくなってしまったのだろう。独立の英雄も身内から国民から見放されてはお終いである。
 ムガベ大統領については私にも想い出がある。平成3年7月、外務政務次官としてアフリカ諸国を訪問した際、ジンバブエにも寄った。その時、ムガベ大統領との会談が急にキャンセルされた。現地の飯島大使は「ムガベ大統領は約束をよくキャンセルするんです」と当たり前のように言うので、飯島大使に私は「日本国民の善意として20億円のODA(政府開発援助)を持ってきているが、ジンバブエには支援しない、持って帰る」と言った。
飯島大使は「そんなことをしたら両国間の問題になります。国交断絶を言ってくるかもしれません」とノー天気なことを言うので、私は飯島大使に「ふざけるな、日本国民の汗と涙の結晶である尊い支援を有難く思わないものに届けてどうする。そんな頭作りだから駄目なんだ」と激しく言った。
大使は慌ててジンバブエの大蔵大臣に連絡を取った。大蔵大臣は平身低頭して大使館に飛んできた。
私は「会いたくない者に私も会うつもりはない。そのかわり日本国民の善意はおいていかない」ときっぱりと話した。
数時間後「ムガベ大統領が是非お会いしたい」と連絡してきたが、放っておいた。翌日どうしてもお会いしたいと言ってきたので私は会うことにした。
その時、ムガベ大統領に私は「なんという無礼な態度を取るのか。約束を守るのは当然でないか」と強い口調で言うと、濃紺のスーツを見事に着こなし、イギリス仕込みのダンディといわれたムガベ大統領は45度の角度で頭を下げた。
飯島大使は落ち着かない態度であったが、そこでも「大使たるもの日本国民の代表としての意識を持て」と私は発破をかけたものだった。26年前のことだが、鮮明に脳裏を過る。
 その1年後、小泉純一郎大臣がジンバブエを訪問した時、やはりムガベ大統領は急にキャンセルされ、小泉大臣が日本に帰って来て「とんでもない国だ、こんな国に支援する必要はない」と発言したことを新聞で知り、やはりムガベ大統領は変わっていないなと感じたものだった。
 ジンバブエで新しい民主的な歴史が作られていくことを願ってやまない。